『ティファニーで朝食を』と言えば、タイトルくらいは聞いたことがあると思います。
オードリー・ヘップバーン主演の映画のタイトルであり、トルーマン・カポーティの出世作となった原作小説のタイトルでもあります。
ティファニーの名を世界中に広めた作品であり、日本でもティファニーは人気のブランドですね。
私は長いこと、『ティファニーで朝食を』の映画も小説も見ていませんでした。
小説は若い頃に読もうとしたことがあるのですが、友人から「龍口の翻訳が酷い」と聞いて二の足を踏みました。
(新潮文庫で長く売られていたものは龍口直太郎(たつのくち なおたろう)が翻訳していて誤訳が多い)
(この逆に村上版はダメで龍口版がいいという評価もある)
ずっと後になって、村上春樹が翻訳したと聞いて本屋さんに行き、少し立ち読みしてすぐ気に入り購入、大好きな一冊になりました。
(この後カポーティの本を読み漁ることになる)
その後村上版は文庫になり、今は龍口版は見なくなりました。
こちらは龍口版です ↓
こちらは村上版です ↓
(結局両方買ったのですがね(笑))
それで映画も見てみようと思いましたが、原作とかなり違うことに驚きました。
1.原作は第二次大戦中、映画は1960年頃が舞台
2.原作では名無しの主人公に、映画ではポールと名前が付き、性格も変えられた
3.ポールにはパトロンの有閑マダムがいるが、原作にはいない
4.ホリーの印象がまるで別人である
5.全然違うラスト
などなど。
ブルーレイはこちら ↓
※追記:Huluで字幕版と吹き替え版が見られます。
原作小説は、トルーマン・カポーティの若い頃の経験と、彼の周囲にいた女性達の人柄をベースにして書かれていて、個人的な思い入れも強いものです。
カポーティの考えたホリーとは、街を歩けば男共が振り返るような、まるでマリリン・モンローのような容姿の女性。
田舎育ちで学はなく、突拍子もないアイディアを連発してすぐに実行に移してしまうような、一人の男に縛られることのない自由人です。
「ティファニーで朝食を食べるようなご身分」というホリーの発言は、つまり彼女は田舎者でよく分かっていないということを表していて、ホリーにとっては「ティファニー = 上流階級」ってことですね。
この小説がヒットして映画化の話が来たときにはカポーティも乗り気で、ホリー役にマリリン・モンローを指名。
ところがモンローはこのオファーを蹴ります、娼婦役をやりたくなかったらしいです。(契約の問題でオファーを受けられなかったという説もある)
カポーティ、がっかり。
ヒットした小説の映画化ですから当たらないわけがなく、映画会社はカポーティに黙って動いて、オードリー・ヘップバーンを主役にし、脚本も彼女に合わせて変えてしまいます。
後で知ったカポーティは激怒したそうです。
私が思うに、モンローをヘップバーンに置き換えるなんてイメージぶち壊しだとカポーティは思ったんじゃないですか。
日本じゃモンローよりもヘップバーンのほうが人気があるようですが、華奢で清楚で真面目そうなヘップバーンじゃ、(当時の)アメリカの男共は振り返らないでしょう。
そして男共に人気の娼婦っていうのも、ちょっと合わないと思いますよ。
(ヘップバーン本人もかなり嫌がっていたらしい)
(ちなみに、この映画の撮影に入る前にヘップバーンはママになっている)
実は私は、ヘップバーンはあまり好きではありません。
痩せ過ぎて顔なんてガイコツみたいに見えてしまうからです。
私は女性の、少しでも細く、顔は小さくという傾向も好きじゃないのです。
そして映画は完成しました。
いきなりティファニーの前に現れたヘップバーン演じるホリーは、ジバンシーのドレスに身を包み、紙袋からコーヒーとデニッシュを取り出して「朝食を」摂り始めます。
(ヘップバーンはデニッシュが嫌いだったそうです)
原作にはないこのシーン、映画版の「無理矢理さ」をよく表していると思います。
映画の中でティファニーの店内も出てきますが、小説ではこれもありません。
ポールはマダムのお相手をして多額のお小遣いをもらいながら小説を書く身分で、結構ズバズバ物を言う人になってました。
そしてラスト、あの雨のシーンでホリーはポールを選んでしまうのです……
私がこの小説を何故気に入ったかというと、個人的な事情が関係しているのです。
当時私は東京で一人暮らしをしていて、職場である女性と知り合いました。
ホリーのように田舎育ちで学がなく、自由奔放で男遊びが激しく、でも可愛らしいところがあって憎めない、そんな女性でした。
一緒に飲みに行ったり、部屋に泊まりに来るような仲になりましたが、彼女は私を好きだったわけではなかったと思います。
一人で東京へ出てきて、仕事は順調とは言えず、家族も友達もいない不安から、頼れる人が必要だったのです。
私は彼女が好きでしたが、その気持ちを彼女に押し付けるようなことは出来ませんでした。
ただ、頼ってきたときに応えてあげるだけで十分だと、そう割り切りました。
結局彼女とは離れ離れになってしまうのですけど、このときの私って小説版の名無しの主人公に似てるんですよ。
だから読んだ途端にグッと来てしまったわけです。
もし映画を先に見ていたら、それなりに楽しめたのかもしれません。
映画としてヒットさせたいなら、ああいうハッピーエンドにするのは必然ですし。
それに、1960年頃のニューヨークは素敵です。
私は海外に行ったことがありませんが、最初に行くならニューヨークと決めているような人ですし、映画の中に出てくるようなちょっと昔の街並みが大好きなのです。
小説を読むときのイメージの補足もできますしね。
この映画の中でヘップバーンが歌う『ムーンリバー』、ヘンリー・マンシーニの傑作です。
アンディ・ウィリアムスがカバーしてヒットしましたが、マンシーニはこの曲をヘップバーンのために書いた曲とし、彼女が歌った『ムーンリバー』が一番だとしています。歌詞はジョニー・マーサーによるものですけど、非常に詩的な内容で、アメリカ人でも正確にこの歌詞の意味を把握している人はあまりいないのだとか。
ちょっと検索すると日本語訳に挑戦している方が大勢いらして、みなさん苦戦しているようです。
映画会社のお偉いさんは『ムーンリバー』を歌うシーンをカットしろと言ったそうですけど、そうならなくてよかったと本気で思います。
ああそうだ、有名なジバンシーのドレスですけど、映画の中で着用したのはその複製だったそうです。
デザインの一部がホリーに合わないという判断で、そこだけ変えた複製をヘップバーンが着たのだとか。
でもヘップバーンが着なかったジバンシーのドレスは、後にオークションで凄い金額が付いて、そのお金はインドの慈善団体に寄付されたそうです。
めでたし、めでたし。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。