スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

ジェネレーションギャップを上から語る

私はアラ還です。
自分が年寄りになってくると、年寄りの気持ちも段々とわかってきます。
そして若い頃の自分が感じていた年寄りとのギャップを、逆の立場から感じることになります。
それぞれがそれぞれの立場で自分を神様のように正しいと思い込み、自分と違う人のことをダメだバカだと感じてしまう。
このジェネレーションギャップが、人類の中でもう何千年も前から続いているのですから面白いですね。
(ちなみにファッションブランドのGAPって、この言葉から付けられた名前だそうです)

 

 

 

例えば言葉の問題。
若い頃に私は「言葉は進化していくもの」と思っていましたけど、今は「言葉は退化していくもの」と思っています。
日本語をきちんと勉強せずに、その場の勢いとか流行とか言い易さで勝手に変えてしまうことを、「進化」というのには違和感があるからです。
でもそれは「進化」でも「退化」でもなくて、ただの「変化」です。
自分を正しい方へ置きたいものだから、言い方を変えているだけですね。

 

お米を炊いたものを「ご飯」と言いますが、今の若い人達はそれを「コメ」と言います。
私からすれば「コメ」=「生米」であって、言葉の使い方が間違っていると思うのですけど。
(それはまるで、パンのことを「コムギ」と言うようなものです)
このことをネットで色々読んでみると、若い人達からすれば私の考え方が間違っていることになります。
若者の考え方はおそらく「ご飯」は食事のことであって、私の言う「ご飯」は米の飯だから「コメ」ということなのでしょう。


こないだ入った飲食店のメニューでは「ライス」のことを「米」と書いていたから、もうこの流れは本格的に進んでいるのだと思います。
助詞の使い方もかなり変化していますしね、昔年寄りが若者の言葉遣いを嘆いていたことが今はよくわかります。
(「この靴があのお店で売ってた」とかってアリなんだねぇ……)

 

 

 

例えばファッションの問題。
私はファッションのキモはカラーコーデだと思っています。
トップス、ボトムズ、シューズ、小物でどう色を組み合わせるか、それが私のファッションの基本です。
黒というのは私的には色ではなく(美術的な考え方)、黒を入れると色が一色失われるから、できれば使いたくないのです。
実際、私は黒い服というと礼服か下着しか持っていません。

もう一つ、昔アパレル業界の人に聞いたのですけど、黒というのは一番コストがかからない色なのだそうです。
ハイブランドの黒は別にして、多くの黒は染料も染める機械も安く済むのだそうです。
色の出方を一々チェックする必要もなく、黒にしておけばそこそこ売れるからいいとのこと。
だから安い服やバッグは、黒が多いのです。
私は汚い黒やくすんだ色の服なんて買いたくなくて、どうせ身に着けるのなら綺麗な色・鮮やかな色を選びたいです。
(「綺麗」「鮮やか」を「派手」と同じだと思っている人もいますが)

こういう考え方をする私からすると、昨今のモノトーンコーデは本当に有り得ないことです。
でももう二年間くらい、モノトーンコーデは流行り続けています。
街を歩けば多くの若者は、全身を黒で覆っています。
彼等彼女等からすればそれがオシャレであって、私のようなカラフルなコーデは時代遅れでダメなのです。

 

この隔たりはかなり大きなものですね。
買うときも着るときも全部黒なら、頭を使わないから楽そうですけど……楽しいのかなぁ?
そういう人を何かの裏方か下着泥棒だと思ってしまう私が古いのです。
それと私が若い頃に好きだったデニム、今の私には安っぽい野良着であって、キレイめなコーデの中に入れるならアリでも、全身が安っぽいならただのお百姓さんなのです。
こうして自分の中でも、180度変化しているわけです。
(ファッション業界が次をどう仕掛けてくるのか楽しみです)

 

 

 

飲食店で足を組んでいたり、左手を使わず顔を器に突っ込むように食べていたり、私の毎日は他人とのギャップとの遭遇で溢れています。
猫背で肩を丸め込んで腕を斜めに振って歩いている人からすれば、背を伸ばして腕を前後に振っている私はダメなのでしょう。
あと年齢とは別のところで、例えばパスタをフォークに丸めて食べるか、ラーメンのようにすすって食べるかというギャップもあります。
ドアが閉まりかけた電車やエレベーターに無理に乗ったり、信号が変わりかけた横断歩道を走って渡るとか、私は絶対にやらないことをやる人は大勢います。

 

そういうギャップは決して無くなることはなく、文句を言ったり怒っても無駄です。
そうではなくて、ギャップを見付けたら面白がったり、自分に還元するほうが得です。
ギャップを感じるときって、大概は自分の欠点は棚に上げていたりしますし。
喧嘩腰で生活していて、幸せになんてなれるわけないのだし。

 

そして、ギャップのある他者をやたらと敵視せずに、同じ人間として接することは大事です。
私は神様のように正しいわけではなく、世間の常識も日々変化していきます。
パッと見で「ありゃダメだ」と思うのではなく、誰もが自分と同じ人間で、おそらく毎日を懸命に生きているのだろうという一種の敬意がそこにないと、世の中がおかしくなってしまいます。
更に、多様性の無くなった世の中は、かなり味気なくて暮らしづらいはず。
「ギャップ上等」、自分が年寄りになってそんなことを考えるようになりました。
「その歳になってやっと?」と笑ってやってください。

 


 

こないだ松屋で食べた、牛とじ親子丼(¥650)がこちら。

松屋の牛とじ親子丼

ボリュームはあったけど、それほど美味しくはなかったです。
牛肉の調達コストが上昇している影響で、鶏肉を使ったメニューが増えてますね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。