スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

PC黎明期と私

今はPCやスマホタブレットなど、コンピューターに触れることが当たり前の世の中ですけど、私が子供の頃はそうではありませんでした。
コンピューターというのはどこかの研究施設にあって、何か難しい計算をしているもの。
それがコンピューターのイメージでした。


小さい頃の私はテレビで見るコンピューターに憧れて、いつかはコンピューターに係わる仕事をしたいと思っていました。
特撮番組とかで、大きなコンピューターから吐き出される紙テープを手にして読み取る技術者(笑)っていうのはカッコよかったですからねー。
ああいう専門家って、つい憧れてしまいます。

 

ただ私が十代の頃って、コンピューターは個人が買えるような物ではありませんでした。
TK-80みたいなワンボードマイコンはイメージと違うし、1970年代後半にアメリカのメーカーが数社出してきたオールインワン型のPCは恐ろしく高価だったし。
大体、そういう英語圏の物を買ったところで、使い方がわかりません。
日本のメーカーは1980年頃から、各社独自のシステムのPCを出していましたけど、これも馬鹿みたいに高価でした。

 

そこで私が見つけたのが、ポケットコンピューターポケコン)です。
シャープが中心になってカシオとかも出していましたが、電卓のオバケみたいな製品です。

バイトすれば買える程度の価格でした。
BASICインタプリターを内蔵し、画面は小さいながらもプログラミングができました。
プログラムとは何か、どう作るのか、何が出来るのか。
それを学べて良かったです。
それにですよ、自分のコンピューターを持てて、それをカバンに入れて持ち運べる!
正に夢のような製品でした。

 

大学生の頃に、富士通FM-7というPCを出しました。
性能はいいのに当時の相場よりもかなり安くて、大学生でも手が出せる価格でした。

当時のPCというのは本体とキーボードが一体化されていて、それが20万円台前半(今の30万円くらい)しました。
FM-7は¥126,000(今の16万円くらい)でしたから、飛び抜けて安かったのです。
(他にディスプレイは最低限必要で、これはテレビでも代用できた)
しかも性能が良くて、当時は大人気でした。
この後は各メーカーが似たようなPCを出し始めて、ようやくPCが広まり始めたのです。

 

私も夏休みにバイトして、FM-7を買いました。
最初は古い白黒テレビをディスプレイにしていましたが、やっと自分のPCを持てたことが嬉しかったです。
大した意味もないBASICのプログラミングをしたりして、でもそれだけでワクワクしたものです。
アスキーなどの専門誌を買うようになったのもこの頃のことです。

 

そのうち、PC向けのソフトウェアが発売されるようになりました。
ビジネスソフトとは別の、ゲームなどの遊び用のソフトですね。
PCユーザーなら欲しくなるのが人情です。
ただ、当時はこのソフトがやはり高かった。
しかもメーカー毎、機種毎に専用のソフトでないと動きませんでした。
欲しいソフトがあったとしても、自分のPCで動かないソフトなら買っても無駄です。

その頃、雑誌で見つけたのがソフトウェアレンタル店です。
買わないといけないと思っていたソフトを貸してくれるお店があったのです。
その先駆けとなったのが、ソフマップでした。
すぐに行きましたとも!
当時のソフマップ高田馬場駅の近くのマンションの一室にあり、狭くて貧相な感じでした。
機種毎に棚があってソフトが並んでいて、レンタルレコード店みたいに会員登録をして一泊二日でいくらという商売でした。

ソフマップのレンタル袋

 

初めてソフマップに行ったときに、壁に貼ってあったアルバイト募集の張り紙を見た私は、ソフトを一本借りて帰ってから履歴書を書いて、返却のときに応募して採用されました。
(当時の行動力は我ながら凄い……)
お休みというとバイトしていた私でしたから、どうせ働くなら好きなことをしようということです。
そしてPCのディープな世界を垣間見ることができました。

 

ソフマップは渋谷と秋葉原にもお店を出して、確か大阪にも系列店があったはずです。
店内にはソフトの他に、動作確認用のPCが何台も置かれていました。
そしてそこで働いている人のほとんどは、PCに詳しいマニアでした。
当時は素人が手を出せるものではなかったPCについて、先輩方から色々教えて頂けたことは本当にいい経験でした。

 

ソフトウェアのレンタル業というのは、メーカーからしたら当然違法行為であって、裁判沙汰になっていました。
そしてその店内では、営業終了後にソフトウェアの違法コピーが行われていたのです。
それは店員が勝手にやっていたことで、お店側の指示ではありません。
お店に豊富にあるツールを使って、ソフトのプロテクト外しが遊びとして行われていたのです。
私には難しすぎましたが、違法コピーしたソフトはよく頂いていました。
バイト代をもらいながらタダでもらった違法ソフトで遊んでいたのですから、私も若いとはいえ馬鹿なことをしていたものです。

 

ソフマップではアップルⅡみたいな高級機もいじれました。
iPhoneのアップル社が出していた初期のPC、システムを組み上げると百万円くらいした)
後のRPGの原型となった、アップルⅡ用のソフトも見られました。
D&Dやウルティマウィザードリィなどを見ていた私からしたら、ドラクエは新しいものではなかったのです。

 

あとは当時の高田馬場といえば、アーケードゲームの聖地でした。
小さいゲーセンがいくつもあって、メーカーはこのエリアでテスト営業をしていました。
ナムコゼビウスのテスト営業をしていたのも、高田馬場でした。
(開発者が身分を明かさずにやってきて、隠れキャラを出しまくっていたとか)
そしてゼビウスが大ヒットして、攻略法の同人誌をコピーさせてもらったことも覚えています。
今では考えられませんけど、どのメディアもゲームのことはほとんど扱わず、攻略法などは個人的に調べるしかなかったのです。
ゼビウスの攻略本はマニアが同人誌として出していて、コピー本が流通していました。

 

その後の私は卒検が忙しくなって、ソフマップのバイトは辞めました。
それからソフト開発の仕事の内定が取れて、FM-7も仲間に売ってしまいました。
仕事でコンピューターを使うのに、自宅にPCがある必要はないと思ったからです。
そして任天堂ファミリーコンピュータを発売したことで、遊びはこれで十分と思ったのです。
私とPCとの付き合いが復活するのは、それからずーっと後のこととなりました。

 


 

ヤマモリのタイカレーシリーズは本当に美味しいです。

ヤマモリのタイカレー・グリーン

正にお店の味、是非一度。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。