スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

小説 空港の英国人

 今から十年以上前のことだ。

 当時の私は都心で一人暮らしをしていた。お休みは土日祝で、大概は土曜日に家事や買い物を済ませてしまい、日曜日は自転車で出掛けていた。三十代の終わり頃にそれまで乗っていた自転車が故障してしまい、丁度その頃CS放送で見たジロ・デ・イタリア(サイクル・ロード・レース)の選手のカッコよさにしびれた私は、ロードバイクを購入していた。ただ、レースに出るような走り方ではなく、いわゆる「ポタリング(自転車散歩)」として走っていた。

 

 東京は自転車でぶらぶら見て回るには、非常に楽しい街だ。私は自然を見に行くよりも鉄とコンクリートアスファルトに囲まれていたい質なので、東京都心はまさにパラダイスなのだ。それにお店と自販機と公園が多いから、荷物は最小限で済む。そして都心はもちろん、大きな川沿いにはCR(サイクリング・ロード)もあるし、週末の埋立地は閑散としていてこれもいい。当時はまだ自転車ブームが始まる直前で、今ほどサイクリストが多くなかったのも良かった。

 

 

 

 地図をバッグに入れてあちこち巡るうちに、私は羽田空港にも行くようになった。あまり知られていないが、羽田空港の中へは自転車で入ることが可能だ。実際、あの地域の人達は休日にぶらっと入って飛行機を見たりしているそうだ。

 行き方は、環八の大鳥居の交差点から羽田へ向かい、そのまま道なりに走ってモノレールと同じ方向へ行く。第三ターミナルの信号で左折してはいけない、その先は自転車と歩行者は通行止めだ。右側に多摩川の河口を見ながら走っていくと、滑走路を潜るトンネルが見えてくるが、その前に歩道に上がっておこう。暗いトンネル内で、大型車がバンバン走ってくる車道は危険だ。そして長いトンネルを抜けると、そこはもう羽田空港の中なのだ。

 

 羽田空港の敷地は広大だ。中央の地下に南北に首都高が走っていて、その東西には駐車場のビル、更に外側には陸側に第1ターミナル、海側に第2ターミナルが建っていて、更に外側に駐機場や滑走路がある。それらの間に一般道があり、自転車で移動できるのだ。

 よく見ると空港内の施設で働いている人達も自動車やバイクや自転車で通勤しているようで、あちこちに停められていた。一般道の北の端まで行くと、フェンス越しに旅客機を見られる場所もある。ここだと送迎デッキよりも飛行機を近くで見られて大迫力だ。

 

 

 

 飛行機に乗ったことのない私にとって、空港はいつ行っても新鮮な場所だ。その日の私は第2ターミナルへ初めて行ってみた。駐輪場がなかったから交番で警察官に聞いてみると、邪魔にならない場所なら適当に置いていいとのことで、その通りに置かせてもらった。

 ターミナルビルはとにかく広く(というか長く)、お店も多く入っている。ガラスが多く使われていて、明るくて開放的だ。とりあえず飛行機を見て、それからご飯を食べようと思い、エレベーターを探した。

 

 エレベーターが二台並んでいる場所を見付けて、上のボタンを押して待った。一部分がシースルー(というかトランスルーセント)になっていて、建物との調和が感じられた。

 すると少し離れて、大きなスーツケースを持った白人の男性が一人来た。彼も上に行くらしい、年齢も背格好も私とほぼ同じだった。

 二人で待ったが、エレベーターは中々来なかった。今まで、こんなに長くエレベーターを待ったことはない。私はこれに乗らなくてもいいので、別のほうへ行ってみようかと思い始めた頃になって、やっと到着のチャイムが鳴った。

 

 やってきたエレベーターは超満員だった。まったくスペースのない状況を見て、私は乗らないという意思を手で示した。

 隣にいる彼も乗ろうとする様子はなかった。

 ガッカリして、また次を待つのかと思いながら閉まるドアを見ていたら…… なんと、もう一台のエレベーターが通過していくではないか! そして目の前のエレベーターのドアも閉じて、上へと去っていった。

 

 この絶妙なタイミングというか間が、人間に捕まりたくなくてスルリと逃げる小動物のようであり、人を小馬鹿にしているようでもあり、笑いがこみ上げてきた。そして隣の彼も笑い出した。エレベーターホールで私と彼は向かい合って、ゲラゲラと大笑いしてしまった。ガッカリを通り越して、バカバカしくなってしまったのだ。

 彼は私に近寄り、私の肩に手を置いて笑い続け、私もつられて笑いが止まらなくなってしまった。

 

 

 

 その後は二人で、ターミナルビル内のパブに行って飲んだ。

 彼の名はボブ(ロバート)と言った。ボブは日本語はカタコトで、私も英語はほとんど話せなかったが、こういうときはどういうわけか通じたりする。

 ボブはイギリス人で、ビジネスで日本に来ていて、帰国便まで時間があるからぶらぶらしていたそうだ。

 お互いに共通点を探るような会話が続き、同じ作家のファンだということがわかってからは更に盛り上がった。作品の中に出てくる名詞とかセリフが出るたびに、二人で大笑いした。

 

 あとボブに教えてもらったのは、日本のビールのことだ。日本のビールは美味しいのだが、種類が少なすぎるとのこと。ボブは仕事でヨーロッパにもよく行くそうで、ドイツやベルギーなどどこの国でも地方毎に多種多様なビールがあって、それを楽しみにしていると話してくれた。

 確かに日本では、ビールと言えば「とりあえず」だからなぁ。都心の大きなお店にでも行かないと、海外のビールを多数置いているお店なんてまずないし。

 ボブに「ト・リ・ア・エ・ズ」と教えてあげて、「お任せ」という意味だと言ったら不思議そうな顔をしていた。

 

 

 

 楽しい時間は過ぎていき、ボブが出発する時間が来てしまった。

 ボブは、「これで飛行機の中ではよく眠れるよ(という意味のこと)」と言って、片手を挙げて去っていった。

 私も片手を挙げて、笑顔で見送った。

 ちょっと飛行機でも見ようと思って来たら、楽しい出会いがあって良かった。

 

 デッキに上がってみたが、ボブの乗る飛行機がどれかなんてわかるわけがなかった。ただ、海風が気持ちよかった。

 飲んでしまったので、自転車はバラして輪行袋に入れて(いつもバッグに入れている)、電車を乗り継いでうちへ帰った。

 

 

 

 その後、私はボブのメアドを書いたメモを無くしてしまい、ボブからのメールも来ることはなかった。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。