スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

ボカロは難しい

連投で失礼します。

 

3月16日(日)にNHKで放送されたNHKスペシャル、ご覧になった方も多いと思います。

 

「新ジャポニズム 第2集 J-POP“ボカロ”が世界を満たす」

 

J-POPの人気が世界中で高まる中で、ボカロ曲が世界中の若者に支持されているという話でした。
その「世界中」がどの程度なのかは知りませんけど
ボーカロイドとは、PCにメロディやリズムや歌詞を入力することで、PCだけで演奏や歌を再生することができるソフトウェアのことです。
ソフトハウスの発売したソフトウェアが、ここまで大きな影響を与えるとは開発者でさえ思っていなかったのではないですか。

 

 

 

私も当然、その存在は知っていました。
YouTubeで聴いたこともありますけど、合成音声にしてはよく出来ているなぁ、そう思っただけです。
ボーカロイドの象徴である初音ミクが、3Dグラフィックでステージ上に投影されたライブが行われていることも知っていましたが、それを見たいと思ったことはありません。
プロのライブを見に行ったり、アマチュアながらステージに立った経験もある私からしたら、見に行く価値が分からなかったからです。
アイドルなら口パクだとしても可愛らしい女の子を見るという価値はありますが、3Dグラフィックを見てもねぇ。

 

例えばテクノポップという音楽が昔からあって、クラフトワークYMOがその始まりにいたわけです。
音楽に無機質な音を使う意外性もありながら、そこには明らかに人間が介在していたわけで。
例えばYMOの音楽に高橋幸宏のドラムは切っても切れない存在で、完全にコンピューターに任せっきりの音楽とは違うのです。
だからこそ聴いていた我々はノレたのだと思います。

 

 

 

 

昨日の放送を見ていたら、ボカロのファンは生身の人間よりも3Dのほうがいいし、人間が歌うよりもボカロが歌ったほうが心に響くと言います。
そこには自分の心を投影する余白あると。
それが私には分かりませんでした。
番組では「水墨画」「短歌」「枯山水」を例に挙げた
そういう文化的背景や抽象性が昔からあるからこそ、ボカロは日本で生まれた説ね

 

それであの番組の後で確認のためにkikuoの『愛して愛して愛して』を聴いてみました。

 

 

面白い曲だと思うし、歌詞の息苦しさも伝わってきました。
人間の苦しみを歌っているのに、メロディはポップというか軽快な感じで。
そしてこれは、人間が歌ったほうがいいのではないか。
そう思ってしまうのです。
どの程度の情念を込めるか、それは好みによるでしょうけど。

 

これをしばらく聴いていて思ったのは、もしかしたらエフェクトを効かせたボーカルに似てるのかなってことです。
これまでにここに書いてきた、4s4kiや月には兎がいるみたいな曲ですね。
でもあれも、基本は人間のボーカルだしなぁ。

 

 

 

ただ生身の人間のボーカルに、自分の心を投影する余白がないというのは何となく分かります。
人間が歌っている歌はその人のものであって、自分は聴いてノセられているだけ。
例えばユーミンが「恋人がサンタクロース♪」と歌ったところで、それはスピーカーの向こう側の物語に過ぎません。
それをこちら側から見て「いいなー」って思ってるわけです。

 

ところが、同じ曲をインストロメンタルで聴くと感じ方は変わります。
オルゴールが同じメロディを「チンチチンチンチチン♪」と鳴らしたとして、歌っている人間はそこにはいません。
聴いていてつい鼻歌が出たりしてね。
そのオルゴールには歌詞がありませんが、ボカロ曲には歌詞があります。
そう考えると、何か掴めそうな気がしてきます。

 

 

 

私は60代になっても世の中で流行っているもの、話題になっているものについては興味があって。
それを好きになったり自分の生活に取り込んでいくかどうかは別にして、表層くらいは知っておきたいのです。
自分が知らないまま、理解できないままにどこかの誰かが大勢でそれを楽しんでるというのが許せないというかね。
嫌いになるならなるで、納得できる理由が欲しい。
きっと自己中でわがままなのでしょう。

 

それにしても昨夜の番組で流れたボカロ曲の数々なのですが。
自分の心の特に負の部分をストレートに表現する曲が多かったのも印象的でした。
そして自分の作った曲をネットに上げると、シンクロした人から続々とコメントが付くのです。
音楽というのは基本楽しくなるために聴くものであって、失恋の曲にしてもそのドラマ性に酔うものだし。
でもそれはもう古いのかもしれません。
時代の息苦しさの噴火口の一つがボカロ曲なのかもしれないですね。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。