スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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モナ・リザ盗難事件の裏話(嘘)

フランスはパリのルーブル美術館の目玉といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナ・リザ』です。

 

La Joconde (製作:1503年~1519年)

このモナ・リザのことだけで本になるくらいの情報量と人気があり、長く語られてきた絵画ですね。
実はこのモナ・リザは盗まれたことがあったのです。
なんかルパン三世の中の話みたいですけど、事実ですよ。
銭形警部の愛銃、コルト・ガバメントが作られた1911年(明治44年)のことです。

 

 

 

この事件に関しても多くが語られていて、その中でよく登場するのがカール・デッカーという記者の書いた記事です。
彼がサタデー・イブニング・ポストに投稿した記事(1932年)の中で、アルゼンチン生まれのマルケス・バルフィエルノ185?年~1931年)という男が首謀者だと書かれているのです。

 

サタデー・イブニング・ポストアメリカで広く読まれてきた雑誌で(現在は季刊として復刊している)、表紙画の多くをノーマン・ロックウェルが描いたことでも有名です。
ロックウェルの絵のどれか一枚を見れば「ああ、これね!」って思うはずですよ。

 

このデッカーという男の記事はあまり信用ができず、真実かどうかは怪しいものです。
ただ面白いのですよ、内容が。
実際に盗難したのはビンセンツォ・ペルージャ1881年~1925年)というイタリア人男性で、デッカーはこのペルージャマルケスに依頼された実行犯だとしたのです。
その辺りを、どこまでがフィクションか不明なまま書きますね。

 

 

 

マルケスはアルゼンチンのお金持ちの家に生まれました。
どうやらマルケスはまともに働くことのできない人間だったようで、自分に与えられた美術品を売却することで生活していたようです。
でも手持ちの美術品がなくなってしまって困った彼は、贋作に手を出します。
マルケスはフランス人のイブ・ショドロン詳細不明)という腕の立つ画家と手を組み、本物そっくりの絵を描かせて、それをお金持ちに売りさばいていました。
二十世紀の初頭は美術品をコレクションするお金持ちが増えて、マルケスに騙されることも多かったのです。

 

例えばマルケスの手口はこうです。
美術館の警備員に小遣いを渡して展示室を無人にしてから、有名絵画の裏側に贋作を貼り付けておいて、後日お金持ちを連れてきます。
また警備員に小遣いを渡して人払いをしてから、お金持ちに有名絵画の裏側にこっそりサインを書かせます。
あとはまた後日、裏側に貼り付けた贋作を剥がしてお金持ちの家に持っていって売るだけ。
美術館に展示されていた絵画の裏に自分でサインをしたのですから、お金持ちがマルケスを疑うはずもありませんよね。
美術館にその作品が展示され続けたとしても、展示品のほうが偽物と思い込んだのです。
マルケスは頭の良いワルだったのですよ。

 

 

 

1910年にパリにやってきたマルケスは、大きな計画を立てます。
まず、ショドロンにモナ・リザの贋作を複数枚描かせます。
ショドロンはモナ・リザを詳しく研究して、贋作だとバレないような工夫をした絵を時間をかけて複数枚作り出しました。
その間にマルケスアメリカやブラジルのお金持ちのところを周り、モナ・リザを買わないかという商談を密かに六件も成立させました。
当時は盗品でもいいから欲しいというお金持ちが多くいたのです。
盗品の売買だから当然秘密の取り引きであり、お金持ちには他に同じ取り引きをしている人物がいることもバレませんでした。
そしてマルケスは、ショドロンが作った贋作をそれぞれのお金持ちの住む街まで持っていき保管しました。

 

次にマルケスはパリ中の居酒屋を巡り、ルーブル美術館の工事の経験者を探しました。
そして見つけたペルージャランチェロッティ兄弟詳細不明)の計三人を雇います。
ちょうどその頃、ルーブル美術館の作品がナイフで切りつけられる事件があって、作品にガラスのカバーを取り付ける工事が行われていたのです。
その工事に従事していた三人は、ルーブル美術館の内部をよく知っていました。
マルケスは高額の報酬で三人を勧誘。
そしてマルケスは、自分の本名や住所などを三人には一切教えなかったのです。

 

 

 

8月21日。
実行犯の三人はルーブル美術館にやってきました。
翌日は工事のために休館になることを知ってのことでした。
三人は客のふりをして館内を巡り、閉館時間になると物置部屋に忍び込みそのまま隠れました。
当時のセキュリティは信じられないくらい緩くて、三人が見つからないままルーブル美術館は閉まったのです。
そしてマルケスはアリバイのために、あちこちで人と会ったりしていました。

 

翌朝、8月22日。
三人が物置部屋で目を覚まし、ルーブル美術館指定の作業服に着替えて待っていると、職人が続々と館内に入ってきました。
同じ作業服を来た職人が大勢働く中で、三人を怪しむ者はいません。
そして三人は堂々とモナ・リザを壁から外して、絵の描かれた板の部分を服の下に隠し、ルーブル美術館を後にしたのです。
出入り口の警備員は席を外していたらしい
工事中なのだから、壁から作品が外されていても不自然ではなく、モナ・リザの盗難には誰も気付きませんでした。

 

 

 

翌日になって、モナ・リザが展示されていないことに客が気づいて警備員に問い合わせましたが、警備員は写真撮影のために外されたのだろうと思い込んでしまい問題視しませんでした。
やがてかなり時間が経ってから、やっとモナ・リザが盗まれたことが判明したのです。
警察による大々的な捜査が始まり、国境は閉鎖、駅では手荷物検査が行われましたが見つかりません。
そう、マルケスはこうなることを予想していて、ペルージャたちに自宅のアパート内にモナ・リザを隠せと指示していたのです。
当然、工事関係者であるペルージャたちのところにも警察官が来ました。
事件の前後に欠勤したことを聞かれた彼らは、飲んだくれて二日酔いだったと嘘をつきましたが、警察官はそれを簡単に信じてしまったのです。

 

新聞各社は派手な記事で売上を競い、アルセーヌ・ルパンの生みの親のモーリス・ルブランにまで取材しています。
新聞各社は賞金まで出して、根拠のない憶測が飛び交い、パリ中が大騒ぎになってしまいました。
以前私が書いた記事に登場した、ギヨーム・アポリネールパブロ・ピカソも逮捕されましたが、これはまったくの冤罪です。
アポリネール家の居候の男がルーブル美術館から盗んだ彫刻を二人に売っていたらしい

 

マルケスは三人のところを訪れ大金を渡して、自分はしばらくフランスを離れるが、このままモナ・リザを隠し続けるように指示しました。
大金を受け取った三人は大喜びで、マルケスの言うとおりにしました。
お金持ちに売るための贋作は、既にお金持ちの住む街に隠してあるので、本物を動かす必要はありません。
マルケスは六人のお金持ちに贋作を売りつけるために、パリを離れました。
そしてパリに戻ることは二度となかったのです。

 

 

 

ペルージャたちは長くマルケスからの連絡を待ちましたが、何の音沙汰もなく。
段々とお金も少なくなってきて、彼らはイラツイてきました。
モナ・リザの本物はここに隠してあるのに、なぜ指示を出さないのか。
そしてペルージャは自分でモナ・リザをお金にしようと、勝手に動き始めます。

 

マルケスにしてみれば、六人のお金持ちから代金を受け取りさえすれば、本物のモナ・リザなんてどうでもよかったのです。
理想としてはペルージャたちがモナ・リザを焼却でもしてしまえば、本物は永遠に行方不明なので都合がよかったわけですけど。
まったく、マルケスは人類の宝であるモナ・リザを何だと思っていたのでしょうか……
モナ・リザ盗難事件は世界中で報じられていたので、お金持ちは皆疑いもせずに贋作を買いました。

 

 

 

ペルージャはイタリアのフィレンツェの古美術商に手紙を書き、モナ・リザを買い取ってほしいと依頼します。
古美術商は怪しみながらも会いたい旨を手紙でペルージャに送り、ペルージャフィレンツェに向かいます。
ランチェロッティ兄弟のその後は不明
ホテルで古美術商と会ったペルージャモナ・リザを見せて、古美術商は鑑定のために持ち帰らせてもらい、このモナ・リザが本物だということが判明します。
古美術商はすぐ警察に連絡して、ペルージャは逮捕されたのです。

 

「盗まれたモナ・リザフィレンツェで見つかった!」
このニュースは世界中で報じられました。
そして逮捕されたペルージャは、イタリアのために盗んだのだと証言します。
モナ・リザは正式にフランスのものでしたが、イタリア人の多くはモナ・リザはフランス人によって持ち出されてしまった国の宝だと誤解していました。

モナ・リザをイタリアに持ち帰ったペルージャは英雄だ!

それだからペルージャの元には多くのイタリア人からの差し入れが届けられ、人気者になったのです。
共犯者のことは何も言わなかった

 

裁判の結果、ペルージャは禁固刑を言い渡されますが、それまでの勾留期間があったのでチャラになり釈放されました。
その後ペルージャ第一次大戦イタリア軍に従軍し、結婚して子も作り、その後にフランスに戻っています。
一方モナ・リザはイタリア中で展示され大好評で、その後ルーブル美術館に戻されたのです(1913年)。

 

マルケスはお金持ちに贋作を売りつけた大金を持って、カサブランカにいました。
マルケスが手にしたお金は日本円で数十億円とも言われている
マルケスペルージャが逮捕されたニュースにはガッカリしましたけど、ここにいれば誰にも見つからず、お金持ちからの復讐の恐れもありません。
そして自分の犯罪が誰にも知られぬままで終わるのを惜しいと思ったマルケスは、カサブランカで知り合った記者のデッカーに全てを話し、自分の死後発表するように依頼したのです。

 

 

 

さて、いかがでしたか。
面白い話ですけど、この中の大半はフィクションと思われるのでご注意を。
誰かに真実だと話してしまうと、後で恥をかく可能性があります。
デッカーという記者は盛ることで有名だったようですね。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。