スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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牛鍋丼の真実

前からチラホラ書いている、近代食文化研究会の『新しいカレーの歴史 上』ですが。
この本のメインは、昔のイギリスでどうのような料理が作られて食べられていたのか、です。
そして下巻で、それらが日本に持ち込まれた後の話になるそうです。
日本には別ルートでフランス料理も入ってくる
とにかく上巻はイギリスの料理の話ばかりで、私も苦戦しています。
早く下巻で書かれるという、カレーライスやハヤシライスが日本でいかに普及していったかという話を読みたいものです。

 

一方、並行して読んでいた、同じ著者の『牛丼の戦前史 東京ワンニラ史 前編』はとても面白くて、日本国内の話だから読みやすく、すでに読了しています。
これも非常に多くの資料を参考にして書かれた本で、信憑性は高いと思います。
こちらの本の導入部で、牛丼の吉野家の話が書かれています。

 

その吉野家の話で驚いたのは、牛鍋丼のことです。
吉野家では2010年に牛鍋丼を発売しています。

当時のポスターから

この牛鍋丼発売の裏話が書かれていたのです。
それを私なりにまとめて書きます。

 

 

 

21世紀に入る頃、吉野家は牛丼チェーン最大手として君臨していて、すき家松屋はまだそこまでの規模に達していませんでした。
2001年に吉野家は、それまで¥400だった牛丼を¥280に値下げ。
牛丼安値戦争の火蓋を切ったわけです。
ところが2003年にBSE問題が起きてしまい、吉野家では営業時間の短縮や特盛の販売中止などを行いますが、2004年2月にはついに牛丼の販売休止に追い込まれます。
代わりに登場したのがカレー丼いくら鮭丼豚キムチ丼、マーボー丼、焼鶏丼など
もちろんすき家松屋も同じでした。

 

その後すき家松屋アメリカ以外からの輸入牛肉の使用に切り替えて牛丼/牛めしの販売を半年後には再開。
すき家はオージービーフ松屋は中国産牛肉を使用
吉野家ではBSE問題以前からアメリカ以外の国の輸入牛肉の使用を検討したものの、当時はアメリカ産牛肉ほどの量は確保できない=全店舗に行き渡らないとして却下していました。
またこのときの社長であった安部修仁(あべ しゅうじ、「ミスター牛丼」として知られる)は、先代の松田瑞穂(まつだ みずほ、初代社長、創業者は父親の松田栄吉)がコストカットのためにアメリカでフリーズドライしてから輸入した牛肉を使用して味を落としてしまい、それが1980年の吉野家倒産に繋がったことから牛肉の切り替えを嫌ったこともあります。
当時を知る吉野家ファンは口を揃えて当時の牛丼は不味かったと言う
その後吉野家セゾングループ傘下で再建を図る

 

2006年にアメリカ産牛肉の輸入は再開されたもののまだ数量は限られていて割高でした。
そうしているうちに2009年、すき家松屋は牛丼値下げ競争を始めます。
アメリカ産牛肉にこだわった吉野家は当然これについて行けず。
お客にしてみれば、多少の味の違いよりも価格のほうが重要です。
吉野家、大ピンチ。
会長になっていた安部修仁は社長に復帰して、このピンチを乗り越える策を練ります。
その結果発売されることになったのが牛鍋丼だったのです。

当時のプレスリリースから

ここに書いてある

「牛鍋の具をご飯にかけて丼でいただく『牛鍋ぶっかけ』と呼ばれる一杯が生まれました。」

というのは実は嘘。
日本橋に魚河岸があった頃の牛丼は、牛鍋をどんぶり飯に載せたものではありません。
当時の牛鍋は牛の正肉を使った高級品。
一方の牛丼は「牛の内蔵肉やすじ肉やコンニャクを細かく刻んでしょう油味で長時間煮込んだもの」を煮たタマネギと混ぜてどんぶり飯に載せたものです。
もう肉だかコンニャクだか分からないものがタマネギに混ざってるのが具でした。
つまり、今の牛丼とはまったくの別物だったのです。

 

※戦前の牛丼は上記のようなもので、我々が知る正肉を使った牛丼は戦後になってから普及しました。
 戦前の牛丼に慣れ親しんだ人たちは戦後の牛丼を「あんな甘いもの」と否定していたそうです。

 

2010年に吉野家で発売された牛鍋丼は、牛丼よりやや小さい丼を使用して、ご飯の量も牛丼より30g減らし、しらたきと豆腐を載せた分牛肉は牛丼より15g減らしていました。
牛肉はアメリカ産でしたが、牛丼用とは使う部位は別でした。
これで¥280、すき家松屋の牛丼安値競争に参戦するための苦肉の策だったわけです。
誰が見たって牛鍋丼は牛丼の劣化版でしたが、吉野家の歴史を捏造することで箔をつけたわけです。
実際に牛鍋丼の発売時期より前や後で、「牛鍋が牛丼の起源説」を安部修仁自身が否定している

 

牛鍋丼は発売後一ヶ月間は売れたものの、その後売上を落としていきました。
その後同じ価格で牛キムチクッパを出したものの当たらず。
吉野家の策は短期間しか効かなかったのです。
吉野家、一人負け。

 

※私も当時の牛鍋丼は食べましたが、すき家松屋の牛丼/牛めしに比べると満足度はかなり低かったです。

 

2013年にアメリカ産牛肉の輸入制限が緩和され、吉野家はやっと牛丼を¥280に値下げ。
それと共に牛鍋丼はメニューから消えました。
ピンチヒッターのお役御免ですね。

 

 

 

今年の一月から三月にかけて。
吉野家は店舗限定で、牛鍋丼を復活していました。
吉野家が言うには「実験商品」とのこと。

カウンターに置いてあったメニューから

「牛鍋丼は牛丼のご先祖様」は嘘でしたが、牛鍋丼は意外と人気があるのだそうです。
牛丼より安いし、カロリー量も少なそうだし、味が一本調子にならないし。
もしかしたら近いうちに、正規メニューに復活するかもしれませんよ。

 

というわけで、牛鍋丼について書きました。
上記の本はこのような戦後の話はあまりなくて、江戸時代から明治・大正・昭和にかけての話がほとんどです。
でもそれが面白いのですよ、お寿司や天ぷらなどの話もありますし。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。