以前予告しました、ケンタッキーフライドチキンの話を書きます。
元ネタは、
焼鳥の戦前史 第二版(近代食文化研究会:著、Kindle版)
です。
長くなりますが、私なりにまとめましたので、誤りがあればコメントしていただけると嬉しいです。
「クリスマスにチキンを食べるようになったきっかけはケンタッキー」
こういう話をテレビで見たことのある人はいると思います。
クリスマスにケンタの青山店に白人の親子がやってきて、ターキー(七面鳥)が手に入らないからチキンを買いに来たと言い、それを聞いたスタッフがキャンペーンをやったことから「ケンタッキークリスマス」が日本中に広まったと。
でも上記の本では、これを否定しています。
日本に「クリスマスにはターキー」という習慣が入ってきたのは明治時代です。
日本に住んでいた欧米人の習慣が発端です。
それで日本でもターキーが売られるようになりました。
ただターキーは高かった。
昭和三十年代より前の日本では、鶏肉は高級品でした。
鶏肉は豚肉より牛肉より高かったのです。
その理由は、ブロイラーがまだなかったから。
今で言う地鶏のような、生産数が少なくて手間のかかる養鶏しかしていなかったので高くて当然なのです。
その代わり、味は良かったそうです。
マンガ『美味しんぼ』でも栗田くんの祖母が、昔の鶏肉は美味かったと今の鶏肉を否定する話がありました(第9話「舌の記憶」)
「舌の記憶」(← アニメ版、youtube 美味しんぼチャンネルより)
そしてターキーはその鶏肉より高かったのです。
ターキーは裕福な人がホテルや高級な飲食店に行って食べるもので、チキンより大きいターキーは一般家庭に大きなオーブンがほとんどなかった時代には主婦が調理するものではありませんでした。
そして日本人の舌には、ターキーよりチキンのほうが合っていたのです。
しかも、ターキーはクリスマス以外には需要が少なく、普段は入手が難しかった。
だから日本でターキーは普及しなかったのです。
戦後に食料が豊富になる前の日本では、クリスマスは子供にプレゼントをあげる日でした。
その後に控えるお正月にこそお金を注ぎ込んでご馳走を並べるべきであって、クリスマスはそうではなかった。
クリスマス前には日本橋の明治屋(老舗輸入食料品店)でも食料品を売らずにプレゼント用の商品を売っていたそうです。
そしてクリスマスになると成人男性は頭に三角帽をかぶって、ライトな風俗であったカフェーやダンスホールで馬鹿騒ぎをしたわけです。
昭和20年(1945年)に日本は戦争に負けて、進駐軍が入ってきました。
その進駐軍用に、クリスマス前にはアメリカから大量の冷凍ターキーが運ばれてきたそうです。
日本人が食料に困っていた頃に、アメリカ人は冷凍ターキーをオーブンで焼いてバクバク食っていたわけですね。
そしてホテルやレストランは進駐軍に接収されていたので、日本人がターキーを食べる機会はなくなったのです。
※ちなみにクリスマスにケーキを食べる習慣は、日本では明治時代にイギリス人が持ち込みました。
不二家が発明したという説がありますが、それは嘘です。
フルーツケーキの周りを、白砂糖とアーモンドの粉を水飴のようなシロップでこね上げたものでくるんだ上に粉砂糖を振りかけたのが、イギリス式のクリスマスケーキでした(不味そう……)。
これは「フロンケーク(plum cake、フルーツケーキの意)」と言われて、日本にはあまり定着しませんでした。
そして昭和25年(1950年)から、(胸焼けしそうな)バタークリームを使ったクリスマスケーキがバカ売れし始めます。
これはアメリカ軍の軍人から始まったことで、海外に駐留するアメリカ軍ではバタークリームのデコレーションケーキでイベントを盛り上げる習慣があったのです、クリスマスに限らず。
(アメリカ本国ではアメリカ軍人はデコレーションケーキは食べない)
これを日本人は「クリスマスにはケーキを食べるもの」と勘違いし、進駐軍の真似をしたのです。
進駐軍は戦後、徐々に規模を縮小していきました。
ホテルやレストランの接収が解除されていき、需要が減ったクリスマスのターキーを日本人が食べるようになりました。
この頃には(カフェーから進化した)キャバレーでも、クリスマスにターキーを使った料理を出すようになったそうです。
昭和27年や28年(1952年~1953年)には、需要が伸びたターキーの価格は高騰しました。
そしてターキーの代用品として、チキンも売れていきました。
(ちなみに映画の初代『ゴジラ』は昭和29年(1954年)公開)
昭和30年代後半から、三角帽をかぶってキャバレーで大騒ぎしていたお父さんたちは、クリスマスケーキを買って帰って家族と過ごすようになります。
(三角帽の酔っ払いってマンガ『サザエさん』によく登場しますね)
「ホームクリスマス」の流行です。
バタークリームのクリスマスケーキに、余裕がある家はローストターキー、そうでない家はローストチキンを買って、家族で楽しんだのです。
ここでやっと日本の家庭にローストターキーやローストチキンが入ってきたわけです。
この頃にブロイラーが日本でも普及して、より安く入手できるようになりました。
高いターキーよりも安いブロイラーのほうが日本人の舌に合っているのですから、ブロイラーに人気が集まります。
クリスマスにはそれを家庭で焼くのではなく、お店で焼かれたローストチキンを買って食べるようになりました。
まだオーブンが普及していない時代なので、お店で焼いたチキンのほうが美味しかったのです。
この辺りになると、昭和30年代後半生まれの私にも記憶があります。
骨の付いたローストチキン(持ち手に紙が巻いてある)にかぶりつき、銀色の仁丹みたいなのが散らしてあったバタークリームのクリスマスケーキを食べて、父親からプレゼントを手渡されて喜んでましたよ。
父親の仕事の関係でホテルのクリスマスパーティに一家で招かれたときも、ローストチキンを食べた記憶があります。
さて、ケンタッキーですが。
「クリスマスにチキンを広めたのはケンタッキー説」は実は3パターンあるのです。
まず日本KFCの創業メンバーの一人、①大河原毅(おおかわら たけし)。
それから②日本KFCホールディングス。
そして③日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社。
大河原はKFCと喧嘩別れして別の企業へ行きますが、この三者はそれぞれ「クリスマスにチキン」の説を持っています。
細かい部分で食い違いはあるものの、
・ケンタ一号店は昭和45年(1970年)開店
・昭和49年(1974年)までの日本にはクリスマスにチキンを食べる習慣はなかった
・近所の学校(①ミッション系女学校、③ミッション系幼稚園)からの依頼で、チキンを買うからサンタ役で来てほしいという依頼があった
・②青山店に来た外国人がターキーが買えないので代わりにチキンを買った
・これをヒントにキャンペーンをやって、ケンタッキークリスマスが広まった
という説を主張しています。
しかも②は、
・骨付きの鶏肉を手で食べるスタイルは日本になかった
と主張しています。
明らかな嘘ですね、テレビでよく紹介されているのは②だと思います。
ケンタの一号店が開店する何年も前から、日本の家庭ではクリスマスにローストチキンを食べていたのですよ!
ケンタはそれに乗っかっただけです。
私が幼い頃に食べていたローストチキンは、夢か幻だったのでしょうか?
そうならそうだと、目の前に来て指摘していただきたいものです。

近代食文化研究会が書いているように、日本の食品業界に嘘は付き物のようです。
これまでに私が書いた記事だと吉野家だけが悪者みたいですけど、ケンタも似たようなものだったのです。
こんなこと知っても何の役にも立たない知識です、もしケンタ説を信じている人がいても指摘なんてしないようにね!
そんなことで人間関係を壊すのはつまらないですから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。