私が若い頃のアニメの話です。
まず簡単な年表から。
・ルパン三世 1971年(昭和46年)
・宇宙戦艦ヤマト 1974年(昭和49年)
・未来少年コナン 1978年(昭和53年)
・機動戦士ガンダム 1979年(昭和54年)
・超時空要塞マクロス 1982年(昭和57年)
・超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか 1984年(昭和59年)
年配のアニメファンならよくご存知の日本のアニメ界の初期の盛り上がりを、昭和30年代後半生まれの私は学生時代に体験したわけですね。
本当に単純に、小さい頃とあまり変わらないノリでアニメを楽しんでいた私。
ある日、雑誌・アニメージュだったと思いますが、宮崎駿のインタビュー記事を読みまして。
それで脳天をガツン! と殴られたような気がしたのですよ。
宮崎駿のこの頃の記事は『出発点 1979~1996(宮崎駿:著、徳間書店)』にまとめられていますけど、私は持っていた書籍のほとんどを処分してしまったのでどこに掲載されていたのか、今回は分かりませんでした。
宮崎駿がインタビューや対談で言いたい放題していた時期が中心なので、この本はアニメファンなら面白く読めると思います。
(あまりにも言い過ぎて干されてマンガ『ナウシカ』を描いていた時期があった)
宮崎駿が語っていたのは、アニメ映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の始めの方のシーンのことです。
『マクロス』という作品は簡単に書くと、巨大な宇宙戦艦・マクロスの中に大勢の避難民が住んでいて、空いているスペースが沢山あるので独自に街を作って発展させていた、という設定が基本です。


このシーンを見た宮崎駿は、「マクロスの住民は平気でその辺に空き缶を捨てる人たちなんだ」と言いました。
そうかっ!!
おそらくこの映画の監督の石黒昇も河森正治も、単に「未来社会はハイテクで便利ですよ」って言いたくて掃除ロボットを出しただけだと思います。
でも空き缶をポイ捨てした男性のことを考えれば、とんでもなくモラルが低いと言わざるを得ません。
そのことに気付かなかった私。
(ちなみにこの映画は映画館には行かず、後でソフトで観ました)
どうせ描くなら、男性が飲み終わった容器を、回収するロボットにお礼を言いながら渡すくらいでないとね。
映像作品を見るときに、一々その意味を考えないとダメですよと宮崎駿は教えてくれたのです。
それ以来、私の作品を見る目は変わりました。
アニメに限らず、出てくる人の言動や物の形に意味はあるのか、正しいのか。
自分がその場にいたとして、どうしたか。
今と違う時代なら、状況だって違うはずだ。
そう思うようになってみると、多くのアラが見つかるようになりました。
ファンタジー系の作品の多くは、食料や水や寝床のことをろくに考えていません。
でも我々がもしアウトドア系の旅に出るとして、上記のことは最初に考えますよね。
今日の昼食、今夜の夕食、明日の朝食、昼食……
水分補給だってしなきゃいけない、水道や自販機がないならどうやって水分を確保するのか。
寝床はどうするのか、野生動物に襲われないのか。
そういうことを考えずに自然の中に旅立つのは自殺行為です。
毎食カンパンだけだったら、力なんて出ませんよ。
軍隊だって、食料や燃料や武器弾薬の補給は考えないわけにはいきません。
戦車が一輌だけで行動したって、補給と整備なしにはすぐに動けなくなってしまいます。
(キャタピラが切れたとして、交換には五人が必要と言われています)
兵士は当然腹が減るし、トイレにも行くし睡眠や休養も必要です。
じゃあ戦っている国と国は、なぜ戦争をしているのか。
勝ったらどうなる?
負けたらどうなる?
適当に戦争をしている国なんてないのです。
服だってそうです。
アニメの女性キャラはミニスカートを履きがちですが、そのミニスカートを履く意味ですよね。
現代の日本でコスプレするならいいですが、中世っぽいRPGの世界でミニスカートって何の意味があるのでしょうか?
命がけで旅をしているときに、敵と遭遇して戦っててミニスカートが風でめくれて「キャー!」って、意味ないですよね。
そんなのただのアホです。
こういう気付きがあると、意味なんてなくてもカワイイとかカッコいいならいいじゃん、という作品は受け付けなくなります。
宮崎駿がくれたのは、そういう気付きだったのです。
今のジェット戦闘機が一機数十億円なら、モビルスーツなんて一機何百億円でしょ?
それを数十、数百作れる国家ってどんななの?
その国の国民は幸せなの?
自分たちが収めた税金の多くが武器兵器に費やされて、公的サービスが疎かになるなら政府を批判するでしょ。
じゃあ思いっきり異世界にして、鉱物資源もエネルギーもなんとなく賄えている設定にすればいいのか?
そんなのにノレます?
インベーダーやギャラクシアンは無限に湧いてきますけど、そんなテレビゲームじゃあるまいし。
創作活動をするときに、どこかで嘘はつかないといけないものだと思います。
ただそういうときに、説得力だけは持たせようよ。
宮崎駿はそう言っていたと私は思います。
説得力を持たせることができないのなら、そこはもう描かない。
そういう割り切りも必要だと思います。
前から欲しかった食器をやっと買いました。

分かります?
ステンレスのカレー皿です。
最近は見なくなりましたが、昔はよく見ましたよね。
前から欲しかったのですけど、ダイソーで¥330で売ってました。
すぐに使いたくて、レトルトカレーとパックご飯なんて買ってしまいましたよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。