スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

飲食店の想い出 2

第二回は、私が過去一美味しいと思ったカレー屋さんの話です。

 

 

 

第一回で、若い頃の私が蒲田から埼玉県へ越したことは書きました。
当時の私は東武東上線沿線に何年か住んでいて、そうなると都心の玄関口は池袋になります。
実は私は十代の頃にも数年間、同じ東上線沿線に住んでいたので、池袋はもう庭みたいなものでした。

 

そんな池袋には西武百貨店があります。
私は東武沿線住民なのに東武には見向きもせず、西武にばかり行っていました。
何かというとあの細長い建物を縦横無尽に歩き回っていたのです。

 

※西武は面白いことをよく仕掛けていて、例えば四階か五階の中途半端な位置にウォーターバーなんて作ったりしてました。
ミネラルウォーターのブームが来たのが1980年代の終わり頃
今あるお店とは全然別

ナチュラルミネラルウォーターの飲み比べができたり、ペリエやロケッタなど普段見ない炭酸水が飲めたりしました。

カウンターにこのオブジェが置いてあった

水にお金を出す時代の始まりですね。

 

 

 

それは1990年代の前半だったと思います。
私がよく行っていた池袋西武の、めったに行かない地下二階にカレー屋さんを見つけました。
都内のどこかにあるインド料理店が、小さいお店を出していたのです。
そのお店は表ではカレーだけをパックにして売っていて、裏側に周るとカウンターがあって食事できたのです。

淡い記憶から描き起こしました

インド料理店の出店だけあって、置いてあるカレーは本格的なものばかりでした。
カウンターの空いている席に座って店員さんに口頭でオーダーすると、丸皿にジャポニカ米のご飯とカレーが並んで盛られたものを出してくれました。
もしかしたら別盛りだった?
裏の見えない場所に厨房があるようで、インド人っぽいシェフが料理を持って出入りしていました。

 

私が好きだったのは、サグマトンです。
大きめに切られたマトンは臭みがなく、柔らかく、しかも多かったです。
あんな美味しいマトンは他で食べたことがありません。
カレーソースはスパイスの粒子が分かるような食感で、しっかり辛くて複雑な味がして旨味もあってドロドロでした。

ネットで見つけた、イメージ的に一番近いカレーの画像
(西武のお店のはもう少し緑色)

全体の量も多めで、お腹一杯になりましたよ。
これで¥1,200でした、今の感覚で言うと¥1,500くらいでしょうか?
高いけど、それだけの価値は十分にあると思いました。
私の中では今でも第一位のカレーです、前回のタージマハールもいい勝負ですけど。

 

※ちなみに「サグ(saag)」はほうれん草のことではありません。
ほうれん草はインドでは「パラクpalak)」と言います。
ほうれん草を含む青菜のことを「サグ」と言う地方もあるそうですが、どちらかというとサグは、菜の花やからし菜のことです。
この辺はインド人でも意見が分かれるようですが。

多分こういうことじゃないかな(広義と狭義)

日本ではほうれん草が通年入手しやすいため、ほうれん草カレーが広まったのです。

これは違います

 

一回友達を連れて行ったら、彼には辛すぎて半分以上残してしまって、申し訳ないことをしましたよ。
でも繁盛していて、満席ですぐに座れないこともよくありました。
「知る人ぞ知る」って感じのお店かな?

 

 

 

そんないいお店だったのに、困ったことに私はそこの店名を覚えていないのです。
だから都内にあるらしい、本店の場所も何も分かりません。
まだ若かったし、ちょっと抜けていたのですね。
当時は情報収集しようという姿勢ではありませんでした。
とにかく池袋西武の地下二階に行けばあれが食べられる、それしか考えていなかったと思います。

 

私はしばらく池袋に行けない時期があって、その後久しぶりに行ってみたらカレー屋さんは無くなってました。
ショックでした。
今だったら店員さんに、無くなったお店のことを質問したと思います。
でも当時の私は「無くなったのならしょうがない」、そんな感じだったと思います。
ああ、当時の私の馬鹿!
シラケ世代かよ!? (私は後期

 

その後ネットが普及してから、時々検索したりして調べましたが、お店のことは何も分かりませんでした。
よく言われたのが

アジャンタ麹町)』か『タンドゥール白金、既に閉店)』じゃないか?

ってことですけど、どちらも違います。
どちらもお店に行って食事しましたけど、違うカレーでした。
一回、思い切って池袋西武に電話して聞いたことがあります。
電話に出た方は親身になって私の話を聞いてくれて、色々調べてくれたようですが、結局何も分かりませんでした(申し訳ない……)。

 

 

 

事あるごとに調べたり質問したりしてきましたけど、私はもう諦めています。
だってもう30年も前のことですよ。
それに飲食店なんてほとんどは短命です。
もし残っていたとしても、味が変わってしまうことはよくあります。
このお店がもし見つかっても、食べに行ったら味が違ってたというオチだって大いに有り得ます。

 

惜しいのは、時代が違うことです。
インターネットの本格的な普及は1990年代の終わり頃からだし、携帯電話の前にPHSが普及したのが1990年代の後半で、この頃はポケベル全盛時代でした。
J-PHONEが写メールを始めたのは2000年。
この頃はブログなんて影も形もなく、お店や料理の写真をみんなしてカシャカシャ撮り始める前の時代ですから、ネットに何の情報もないのも当然なのです。

 

人間の味の記憶っていうのは、食べられない期間が長いと美化されますね。
だからもうあのカレーは「想い出の味」のままのほうが幸せなのかもしれません。
それでも今あのカレーを食べたら、京極先生みたいに泣くかもね(笑)。

四万十川の鮎を食べた私(嘘)

あとは自分で作ることです。
遠くて困難な道のりでしょうけど。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。