スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

ファミコンの想い出

昨日の午後、近所のスーパーに行ったら備蓄米がありました。
5kgで二千円ちょっとのヤツですね、シンプルな袋に入ってる。
店内の二箇所で山積みになっていて、ビックリしました。
あんまりビックリしたので、隣りにいた知らない高齢の女性に、

「ついに入りましたねぇ」

と言ったら、

「やっと来たねぇ」

って返してくれました。

 

日曜日の午後ですから、スーパーはやたら混んでいました。
それで大勢が備蓄米を見るのですが、私が見ていた範囲では誰一人手を出しませんでした。
通りかかって、しばらく見て、去っていく。
あれあれ、早朝から並んで順番に受け取っていく光景をテレビで見ていたのにな。
もう備蓄米を買いたい人には行き渡って、あとは銘柄米やブレンド米と比較する人しかいないのか。

 

私ですか?
私の場合は今月の予算がもうギリギリで、5kgのお米を買う余裕はありませんでした。
あれが2kgなら買ったと思いますけど。
それかご飯だけ炊いて、毎日ソースとかマヨネーズとかかけて食べる手もありますけどね(笑、学生かよ?)。
二万円給付は年末かぁ……

 

 


 

 

こないだテレビ朝日の『テレビ千鳥』で、千鳥の二人がファミコンで遊んでいたので見ていて懐かしかったです。
ああいうシンプルなゲームも、たまにやれば面白いのでしょうね。

 

ファミコンFC)が登場したとき、私は大学生でした。
従来の家庭用ゲーム機と違って、凄く面白そうだと思いました。
調べてみたら、FCが発売されたのは1983年7月。
最初はあまり人気がなかったそうです。
その後色々な要因によりジワジワと人気が出始めて、1984年には品薄状態に。
売れ残りのゲームカセットと本体の抱き合わせ商法もありました。

 

私はゲームは好きでしたが、並んでまでFCを買おうとは思っていませんでした。
どうせその内普通に買えるようになるだろう、それまで待てばいいと。
ただ同級生はみんな欲しがってましたねー。

 

 

 

当時の私のバイト先(PC関係)の友達の一人は、ゲームが好きで後にゲーム業界に入ってしまった男なのですが。
彼から「スプーキーさん、FC欲しい? 欲しかったら売ってあげるよ?」と言われてビックリ。
彼が言うには何かのコネで複数台を入手したから、自分の分以外は譲ってあげているのだとか。
そういうことならと、喜んで譲ってもらいました。
どんなコネだよ?

 

私が最初に遊んだのは「エキサイトバイク」でした。

ご覧の通り、バイクで左から右へと走っていくだけのシンプルなゲームです。
コースの凹凸は自分でアレンジ可能。
自分だけで走るゲームと、COMバイク三台と一緒に走るゲームがありました。
これが抜群に面白かったのです、ゲームデザインの勝利ですね。

 

 

 

私がFCを入手したのは、1984年の夏。
まだFCの品薄状態が続いていて、夏休み明けで大学へ行くとみんなに羨ましいと言われたものです。
ところがそこで困ったことになってしまって。
同級生からFCを譲ってほしいと言われてしまったのです。

 

その同級生をU君とします。
U君は性格が悪いので学内では有名で、平気で嘘を付くタイプの人間でした。
私もできるだけ近づかないようにしていたのに、私がFCを入手したと聞いてやってきて、「小学生の姪が欲しがってるから譲ってくれ」と言うのです。
そんなの嘘に決まってます。
自分が欲しいのに、親戚の女の子のためという理由をつければ私が断れないと思っての作戦でしょう。
それでもし私が断れば、U君が「あいつは性格が悪い」と言いふらすのも明白でした。
面倒くさいので、私はFCをU君に譲ってあげたのです。
まぁ私は既にかなり遊んでいたから、ある程度気が済んでいたというのもありましたけどねー。

 

 

 

FCをU君に譲ってからしばらくして、FCは少しずつ店頭で見かけるようになりました。
私は買い直すかどうか迷ってましたが、バイト先の例の友達が教えてくれたのは、

FCのコントローラーのボタンが変更される

ということです。
従来の四角いゴム製のボタンから、丸いプラスチック製のボタンになるという話で、秋頃には実際にそうなってました。
それで私はFCを買い直したのです。

 

ゴム製のボタンは柔らかいので反応がやや鈍く、耐久性にも難有りと思っていたので、プラスチック製への変更は有り難かったです。
後に高橋名人16連射なんてのも話題になりましたけど、ゴム製のボタンであれはできないでしょう。
競い合うように奪い合うようにして初期型FCを入手した人たちは、少なからずガッカリしたと思います。
あのU君だって……、いい気味です。

 

その後私はFCで楽しく遊びました。
一人暮らしを始めてからは、近所の友達を集めて遊んだりもしました。
まるでSwitchのCMみたいにね。
そしてU君とは、卒業後会うことはありませんでした。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。