たまにはアートの話でも書きますかね。
絵画の世界で、「スペインの巨匠」といえば?
パッと思い付くのはこの辺りでしょうか。
今回はこの中のゴヤのお話です。
スペイン北東部の貧乏な家で生まれたゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes、1746年)は色々と苦労しましたが、兄弟子の妹・ホセーファと結婚したことで運が向いてきます。
その兄弟子が宮廷画家になってゴヤが引っ張られる形になったことと、ゴヤの腕前が評価されたことで、1780年に王立美術アカデミーの会員となり、1786年、40歳で国王カルロス三世付きの画家となり、その三年後にはカルロス四世の宮廷画家となり、貴族の称号も与えられます。
しかし。
1792年、46歳のときに原因不明の病気になり、危ない状態は半年も続き、その後回復はしたものの耳が聞こえなくなってしまいます。
仕事復帰したはいいけど内向的になり、同時に自分の周囲のものに対する感性が鋭くなっていきました。
我々が知るゴヤの名画というのは、この病気の後に描かれたものです。
この頃のゴヤのパトロンだったメディナ・シドニア公、
ホセ・アルバレス・デ・トレド・イ・ゴンサガ
とその妻である、
マリーア・デル・ピラール・テレサ・カイエターナ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド
(長い名前だなぁ)
という夫婦がいて、ゴヤは二人からアトリエを提供されていました。
カイエターナは美人で派手好きな浪費家である一方、貧しいものには優しかったそうです。
そしてどうやらこの人は、「恋多き女」だったらしいのです。
1796年にホセが、40歳にして突然亡くなります。
(まだ若いのに、何故……? ← 事件の匂い(笑))
ホセが亡くなった直後に、カイエターナは夫のことなど忘れたように、スペイン南部のサンルーカルという街にある別荘へ行きます。
この頃セビリアの友達の所にいたゴヤは、どうやらカイエターナの旅に同行したらしいのです。
ゴヤ50歳、カイエターナ34歳。
南の地でのひと夏の逢瀬でした。
(ホセの本葬のためにカイエターナは9月に一回マドリードに戻っている)
この頃のゴヤはスケッチ帳を持ち歩いていて、それは周囲とのコミュニケーションのためのものでしたが、そこへサラサラッとスケッチすることも多々ありました。
このスケッチ帳を「サンルーカル・アルバム」といい、カイエターナと思われる女性のみだらな姿も描かれています。
しかし、カイエターナは恋多き女性。
燃え上がった炎は大きかったが、消えてしまうのも早かった。
今も昔も、夏の恋は儚いもの(リゾラバ?)。
カイエターナはゴヤの元を去ってしまいます。
幸せの絶頂から転落したゴヤの失意は、どれほどのものだったのか。
1797年に描かれた『黒衣のアルバ女公爵』は、二人の仲がまだ続いていた時期に描かれたものです。
カイエターナの指にあるリングには「Alba」「Goya」と彫られていて、指差している地面にはカイエターナが自分で書いたかのような向きで「Goya」と描かれています。


人差し指のリングに「Goya」

後にこの絵を洗ってみたら(絵画を詳細にハイテク調査すること)、「Goya」の前には「Solo(スペイン語で「◯◯のみ」)」と描かれていたことが判明しました。
「ゴヤだけ」……あなただけよと地面に書きそれを指差している絵を、カイエターナはゴヤに描かせたのです。
そして破局の後で、ゴヤは「Solo」を塗りつぶした……
ちなみにゴヤの妻のホセーファは1812年まで生きていたから、これは立派な不倫です。
この後のゴヤは、首相のゴドイからの秘密の注文で『着衣のマハ』『裸のマハ』を描いて、後にそれがバレて裁判にかけられたりします。
(スペインではカトリックの教えが厳格に守られていたので、女性の裸の絵なんてとんでもないタブー)
(スペイン以外のヨーロッパ諸国では「女神」や「妖精」だと明らかに分かる絵ならヌードもOKだった)
(ただそういう絵画には当然ポルノグラフの意味もあって、王侯貴族の寝室に飾られたりした)
(フランスのマネは19世紀に明らかに人間である女性の裸の絵画を描いて炎上した)
この有名な二枚の絵に描かれた女性はゴドイの愛人がモデルなのですが、一度描いた絵の顔だけカイエターナに描き替えたとか、そっくりなポーズのスケッチがサンルーカル・アルバムにあるとか、色々言われています。
(ゴドイはカイエターナと共謀してホセを殺害したという説もある、なんとも複雑)


(「マハ」というのは「粋な姐さん」みたいな意味で、固有名詞ではない)
ゴドイは自宅の隠し部屋で、親しい友人にこの絵を見せていたんですね。
屋敷の奥に隠し部屋があって、信用できる友人だけをそこへ招き、最初に「着衣のマハ」を見せます。
友人が絵をじっくり見た後でその絵を外すと、下には「裸のマハ」があるという…… 男子中学生かっ!?
そしてゴドイの愛人の裸婦画の顔だけカイエターナに描き替えたゴヤの心中やいかに。
『裸のマハ』は、西洋絵画において初めて女性の陰毛を描いた絵であり、それが大問題となって、裁判の後はプラド美術館の地下に百年近くも隠されたのです。
ゴヤという二百年以上前に生きた男の、失恋と未練のお話でした。
この後ゴヤは精神的にちょっとヤバくなって、『我が子を食らうサトゥルヌス』などのグロい絵(「黒い絵」シリーズ)を描いたりするのですが、そのお話は過去の記事を参照のこと。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。