「ねぇ」
「うん?」
「早く夜にならないかなって思わない?」
「えーっと」
「あたし今そういう気分」
「Hなの?」
「全然違う! それとは別!」
「サーセン」
「サーセンじゃない!」
オレと隣の席のマイコさんが働いているここはコールセンター。同じ派遣会社から来ていて、あちこちの現場でご一緒している。ここは電話が滅多に鳴らない、ヒマだからマイコさんとはよくしゃべる。

「早く夜になれって、そういう気分になることない?」
「オレの場合は帰りの外食が楽しみかな」
「帰りの外食?」
「自宅に着くまで我慢できないから、途中で食べるんだよ、晩御飯」
「ああ、そういう」
「定時までにどこで何を食うか考えて、その通りにするの」
「マメなんだね」
「そうでもないけど、ここはネットで地図見てもいいから便利」
定時まではまだかなりある。こうやって小さい声でならおしゃべりしてても怒られないし、仕事でネット上の地図を使っているのでヒマなときに地図を見ることも許されている。ただしリンク先は見るなとも言われているが。
マイコさんが何を言わんとしているのか、ちょっと掴みきれていないオレ。
「こういうヒマだけど何もできないのって嫌でしょ」
「うん」
「あたし、昼間のこういうモヤッとした感じって嫌いなの」
「モヤッ?」
「なんか縛られてるっていうか、息苦しいっていうか」
「でも忙しいコールセンターよりもマシだよ?」
「いや逆!」
「え?」
「電話がジャンジャン鳴るコールセンターだと、忙しいからあっという間に定時になるでしょ?」
「確かに」
「忙しいのが好きなわけじゃないけどさ」
「こんなにヒマだと、この時間にアレが出来る、これもやりたいって思うよね」
「まぁそれに近いかな」
マイコさんの声に、ちょっとだけ熱が入った。
「生きているとさ、色々面倒なことはあるじゃない、しなきゃいけないことが。それが頑張れば済むことならまだいいけど、どうにもゴールが遠いような難しいことがあって、それが複数あったりすると最悪じゃん?」
「分かる」
「理想は、そういう面倒なことは全部片付いていて、何も心配がない平和で自由にいられる時間でしょ?」
「そりゃそうだ」
「忙しい仕事っていうのは、それをやれば給料がもらえて、とりあえず生活も出来て。電話取りまくってるときって、それに集中していれば許されるじゃん?」
「そうだね」
「ヒマだとさ、色々考えちゃって。将来のこととか、先送りにしたこととか」
「腹が減ったとか」
「バカ」
オレが思うのは、現代人って入ってくる情報量が多すぎるから、その分色々考えすぎちゃうんじゃないかなってことだけど、言わないでおく。マイコさんの話の流れを止めそうなので。
「ただ夜になれば、買い物して帰ってお風呂入って飲んで。ああもう車の運転できないやって」
「運転?」
「『飲んだら飲むな』ってこと、私車持ってないし運転する用事もないけど」
「『飲んだら乗るな』でしょ?」
「あははは! いいじゃん!」
「酔ってる?」
「バカ。つまりもう何も出来ません、ダラダラしてていいよっていう感じ」
「それはあるね」
「夜なんだから、酔ったから、もう何にも出来ないから、今は平和で自由ですよって」
「いいねぇ」
「結局逃げなんだけどさ、早く夜にならないかなって思うんだ」

でもみんなそうなんだよ、何も心配事のない人なんていないんじゃないのかな。口には出さなかったけど、オレはそう思った。
「マイコさんさ、自分ちの台所の流しに洗い物がゴチャッとあったら嫌じゃん?」
「え、うん」
「面倒くさいなーって放置したりして」
「有り勝ちだよね」
「オレはね、そういうのって頑張って先に片付けちゃうタイプ」
「へー」
「結局洗い物ってしなきゃダメじゃん? そのタイミングを後にずらすと『やんなきゃな』の時間が続くけど、思い切って先にやっちゃえばそれがスッキリした時間になるわけ」
「ほーほー」
「労力はまったく同じだけど違うんだよ」
「説得力あるね」
「でもマイコさんの話とは違うか」
「ううん、いいの」
さっきの「バカ」とは違う言い方の「いいの」、頂きました。
「今夜は何を食べるの?」
「まだ決めてないけどね、予算も限られてるし」
「やっぱこの辺?」
「うん、オレの場合は✕✕駅まで歩くから、その間で」
「そんなに歩いてるんだ?」
「デスクワークだと動かないでしょ」
「偉いね!」
「偉かないよ! それに元々街歩きって好きだし」
「それはなんか分かるかも」
実際、オレはテクテク歩くのが好きだ。街を見るのも好きだし、歩きながらだと考えもよくまとまるし。妙な感じのお店を見つけると入ってみたくなったりするし。
「個人経営の小さくて古いお店なんて好きだね」
「へー、どんなとこが?」
「チェーン店って安くて便利だけど、面白味はないでしょ。個人経営のお店ってメニューも独自、ルールも独自で意外性があるんだよ」
「面白そうだね」

「前に小さい定食屋さんでさ、老夫婦がやってて、古くて地震が来たら倒壊しそうなとこがあって」
「うんうん」
「定食が五百円で、味も中身も量もちょっと低レベルなんだけど不満ってほどではなくてさ」
「うん」
「ガラガラな中で一人で食べてたら、おかみさんがやってきてみかんを一個くれてさ」
「えー?」
「オマケだって」
「面白いねー!」
「そこは小鉢が一つサービスになったり、急に百円引きになったりするの」
「商売になってんのかねぇ!」
「分かんないけど、歓迎されてる感はあるね」
「あははは!」
「こういう食べ歩きも面白いでしょ?」
「あ、入電」
マイコさんは瞬時に仕事モードに切り替えて、マウスとキーボードを操作して電話を取る。
「お電話ありがとうございます、◯◯でございます、本日はどのようなご用件でしょうか?」
発音明瞭な応対、声がワントーン上がっている。
あんまり心配ばかりすることないよ、マイコさん。お腹一杯になれば落ち着くからさ。
前々回に書いたセブンイレブンのお弁当ですが。
あれ、近所でも買えることが判明しました!
一部のネットニュースでは、うちは販売エリアに入っていなかったのですがね。
近日中にレポートできると思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。