スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

精華寮と床屋さん

私は四十代の頃、東京の文京区に住んでいました。
あの頃は小日向という閑静な住宅街にあった、賃貸マンションに入居していました。
静かでとてもいいところでした。

※東京都文京区の「小日向」は「こびなた」と読みます。
 「こひなた」と発音すると地元の人は表情を曇らせます。
 大体江戸っ子は「こひなた」という発音ができませんから。
 地元の方によると「こひなた」は「戦後になってから役所の田舎者が勝手に決めたこと」だそうです。
 中には表札にローマ字で「KOBINATA」と表記しているお宅もあったりします。

こんな都心に住めたのも一人暮らしだったからでしょう。
当時はそれなりに稼いでいましたけど、家族がいたらちょっと無理。
まぁ楽しい時期でしたよ(今も別の意味で楽しいけど)。

 

一番近い駅は、東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅みょうがだにえき)です。
半地下の小さい駅でした。
丸ノ内線茗荷谷・後楽園間で地上に出る
学校が多い割に学生街の雰囲気はなく、この辺はお店が少ない街です。
牛丼ファンには有名な「丼太郎どんぶりたろう)」はこの駅の近くです。

※丼太郎は「牛丼太郎」という牛丼チェーン店が営業終了するときに、管理職だった有志数人が数店舗を引き受けて営業を継続したものです。
店名を変える必要があったので、看板の「牛」の字をガムテを貼って隠したのです。
丼太郎も今となっては残っているのはここの店舗だけ。
大手チェーン店に比べると、量は多いのに値段が安くてみそ汁が付くというとんでもない優良店です。

 

 

 

あの頃は駅前にある床屋さんに通っていました。
坊主頭なので二週に一回カットしないといけなかったのです。
今はそこまで頻繁にはカットしていないけど
家族経営の床屋さんで、通っているうちに仲良くなって。
色々な地元ネタを教えていただいたり、スイカの苗をいただいたこともあります。
私も旅行へ行けばお土産を持っていったり、お店の新聞がすぐバラけて困ると聞いて、新聞用のクリップを持っていったりしました。

 

ここの床屋さんのご主人に聞いた話です。
実はご主人、精華寮に散髪に行っていたのだそうです。
文京区では区内のお年寄りに理髪券を発行していて、精華寮の住人の中にはその理髪券をもらっている人が複数いたのだとか。
中には生活保護を受けている住人もいたらしい、謎だ
それでご主人も呼ばれて、たまに散髪しに精華寮に入っていたと言っていました。
普通に中に入って、散髪して、帰ってくるだけで、別にトラブルはなかったそうです。

 

 

 

※精華寮とは、小日向にあった台湾の学生寮のこと。
 1927年(昭和2年)、当時台湾は日本の統治下にあって、日本に渡ってきた台湾人の学生のために建てられたのが精華寮(当時は高砂寮)なのです。
 その後、戦後の混乱期に台湾総督府は消滅し、精華寮は所有者のいない土地と建物(=日本の国有地)になってしまいます。
 ところが住人が権利を主張し、もめている間に台湾人、中国人、更に日本人が二派に分かれて穏便に暮らす集合住宅になっていきます。
 勝手に部屋を賃貸にする人や、それを借りてる住人もいたそうです。
 こうして問題が先送りされているときに、突然別の団体(実態無し)が権利を主張して裁判で勝訴。
 この後国などの関係部署がやっと動き、裁判を起こすと報じられていました。
 非常に複雑な話なので、私も正確には把握していないのです。

精華寮は雑木林の中にあり、雑草も凄くて中にある建物は見えませんでした。
私は近所に住んでいて、自転車通勤時はこの前を通っていましたけど、最初はただの雑木林で建物が建っているとは思っていませんでした。
近所の人によると時々人が出入りしていて、ゴミを放置するから困る、とのこと。
「オバケ屋敷だ」なんて言うお子さんもいたそうです。
たしかに、拓大のすぐ裏なのに、正直人が住んでいるとは思えない雰囲気でした。
しかも日本と台湾と中国まで絡んで権利でもめているという話ですから、ちょっとした外国です。

 

当時の精華寮の位置、茗荷谷駅から歩いて5、6分
この辺はやたらと学校が多い

都心でこれだけのまとまった土地です、その価値は二十億円を下らないなんて噂もありました。

 

 

 

そんなある日(2007年7月19日)、火事がありました。
平日の早朝に、上空の低い位置でヘリコプターがホバリングしていて、その凄い騒音で目が覚めました。
精華寮が燃えていたのです、テレビの朝の情報番組でもチラッと報じていましたよ。

 

後で知ったことですけど、女性が二名亡くなったそうです。
火事の原因はタバコの不始末とのことでしたが、そうではないとする噂話も聞きました。
関係各所が本腰を入れ始めたと報じられた頃のことですからね。
その後、精華寮の住人は全員が退去して、建物は取り壊されて更地になり、老人ホームが建てられました。
床屋さんのご主人が言っていました、自分が散髪した方々は無事だったのだろうかと……

 

自宅の近所にこういう謎なエリアがあると不気味ですけど、無くなってしまうと寂しい気もします。
日本中がツルツルのピカピカになっていきますが、それがいいことなのかどうなのか。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。