大分前に勤めていた職場の大きなビルの一階にカフェがあって、朝の通勤時間帯からお店を開けていました。
朝からコーヒーなどを買うお客で賑やかでしたが、今の時期になると桜茶が人気でした。
私も好きで、よく買って飲んでましたよ。
あんな風流なものを、スチロールのカップにプラスチックのフタをつけて提供するところがまた可笑しかったです。
日本のどこかに八重桜を大量に漬け込む業者がいるのですね。

桜茶っていうのは味も香りも弱くて、変な言い方だけどその分飲むほうも気合いを入れないといけない飲み物でした。
直前にのど飴なんて舐めてたら台無しです。
私なんかは洗面所で洗口液を使ったりしてましたよ。
味や香りが儚い分、美味しく思えるし季節も感じられるのがよかったです。
仕事に気合いも入ろうというものでしたね。
昔、NHKの朝ドラで『ほんまもん』(2001年後期)というのがありました。
池脇千鶴が主演で、熊野で生まれ育った主人公が料理人を目指す物語でした。
私はきちんと観たわけじゃないですけど、面白かったのを覚えています。
なんといっても主人公の山中木葉(やまなかこのは、そのまんまやな)の味覚や嗅覚が物凄く鋭いのがね、痛快なくらいでした。
熊野のど田舎で料理人の娘として育った木葉の味覚や嗅覚が鋭敏なのは自然なことです。
そしてそれは、後から追いかけようとしたってどうにもならないことです。
私なんかは昭和の駄菓子屋に通いながら成長した口です、鈍いに決まってます。
木葉はね、水瓶に貯めておいた井戸水を先輩が黙って水道水に替えておいたって気づく人なのです。
でも木葉が実在したとして、今の日本は生きづらいのではないかなと思います。
今はなんでも味や香りが過剰でしょ?
もちろん自分で作れば調節は効きますけど、外で食事となれば大変です。
本物を出す高級店に毎日行くわけにもいかないし。
うちで作るにしても、小さい鍋の素なんかは作られた味と香りですから。
(小さいキムチ鍋の素の中にキムチの成分は入っていないとか)
お金と手間ひまをかけないといけない分、大変です。
今60代の私が既に人工的な味や香りに染まっているのだから、じゃあ本物はどこにあるのか? って話になりますわな。
逆に言えば、味と香りに十分な濃さがないと売れない時代なのでしょう。
「◯◯味」と書かれていてその味が弱ければ、クレームくらい来るのかも。
レモンティーや唐揚げについているレモンは、ギューギューしぼらないと気がすまない。
ティーバッグも水気を全部絞らないと損した気分になる。
香水はすれ違っただけでむせるくらい振りかけるもの。
今の日本人ってそんな感じなのかも。
私が昭和一桁の親から教わったのはこうです。
レモンティーのレモンは、スプーンに乗せて紅茶に一回入れたらすぐ出す。
唐揚げのレモンはレモンの切り口を唐揚げに一回こすって終わり。
東京の山の手のお嬢様だった母はそんな風に言ってました。
駄菓子屋育ちの私がそれに素直に従ったわけではないですが、大人になってみると「なるほど」という感じです。
そういえば母は、我々子供たちが食べていたお菓子をあげても食べなかったなぁ。
こんな風に、日本人の味覚は変わっていくのでしょう。
それはいい悪いではなく、時代です。
言葉が変わっていくように、味覚も変わっていく。
その変化に間に合わなかった母のような人は苦労したのだと思います。
私なんかは辛いカレーをバクバク食って喜んでいるくらいなので、全然平気ですけどね。
小さい頃からハイチュウ食って大人になって、その大人が味を決めていく。
「その後」がどうなるのか、ちょっと気になりますが。
ちなみに『ほんまもん』の序盤で、木葉が母校を訪ねて仲の良かった若い担任を訪ねるシーンがあります。
前にちょっと書きましたけど、木葉が進路で悩んでいて担任に相談するのです。
最初はグラウンドの端のベンチで二人は並んで話し、グラウンドを歩き、校舎へ向かう緩やかな階段を登っていき、途中で立ち止まる。
担任は少し前にいて振り返り、木葉にアドバイスを贈る。
そう、人生の先輩から後輩へのエールを場面設定を使って表現したのです。
画面の隅の、階段の先にある校舎が担任にとってのゴール(教師として成熟した姿)を表し、木葉には木葉の階段があるのではないか。
こういう演出って、アニメじゃまず見ないですね。
うちの近所のお庭の梅です。

きちんと手入れをされていて、尊敬してしまいます。
無料で楽しませていただいて感謝感謝。
もうこういう季節なのですね。
あとうちの楓の小枝が知らぬ間に折れていて、可哀想なのでスパイスの小瓶に挿してあげました。

もうダメかなーっと思ってましたが、細かい泡が出るということはまだ生きているのかもしれません。
まさか芽吹くことはないでしょうけど、しばらく様子見です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。