スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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カツカレーの嘘

私の心配が当たってしまいました。
以前から書いている書籍『新しいカレーの歴史 下: カレー、シチュー、ハヤシライス、肉じゃがの日本近代史』(← amazon、著:近代食文化研究会)の話です。
まだ読みかけですけど、また食品業界の嘘の話が出てきてしまったのです。
今回は『新しいカレーの歴史 下』から、その話を書きます。
ちょっと長いのでご注意を……

 

 

 

カレーライスというのはインド料理がオリジナルで、イギリスに渡ってアングロインド料理となり、独自の進化を遂げました。
インドに住むイギリス人の主婦(メムサーヒブ)が作ったカレー粉やカレーペーストがイギリスへ渡り(18世紀後半~)、インドからの情報を基にイギリスの主婦がアレンジしたものが広まりました。

 

※この頃のイギリスのカレーライスのライスは、アジアから輸入した長粒米を湯取り法で炊いたものです。これはインド料理と同じ方法で、日本の炊き干し法のご飯のような粘りはなくサラサラでした。サラサラのライスには汁気のあるカレーが合うのです。

 

一方フランスでもカレーライスは食べられていました。
フランスの場合は19世紀の始め頃から、レストランで出される高級な料理としてのカレーライスです(名称は違う)。
家庭料理は女性が作り、レストランの料理は男性が作る、これが世界の常識だった時代です。
イギリスのカレーは女性が、フランスのカレーは男性が作っていたわけです。

 

※フランスでは16世紀頃からお米の栽培が始まり、初期は王侯貴族が食べる高級品でした。これが18世紀から特に南部で収穫量と品種が増えていき、イギリスと同じ湯取り法で炊きました。

 

 

 

19世紀のフランス料理の名前には海外の地名が付くことがありますが、それは実際にその地で食べられている料理という意味ではありませんでした。
それはサイゼリヤのミラノ風ドリアと同じで、「現地をイメージした料理(現地にこの料理はない)」という意味になります。
フランス料理のスパゲッティ・ナポリタンもミラノ風カツレツも同様。

 

※フランス料理のSpaghetti a la napolitaineは元々料理の付け合せであり、大正時代に洋食店がこれを取り入れて、その後変化しながら一般庶民に広まったものです。日本生まれのインチキ洋食というのは間違い。

Spaghetti à la napolitaineの一例

 

19世紀始めにフランスに登場したインド風料理も同じで、インド料理とはまったく違うものでした。
インドを思わせる食材(唐辛子やマンゴーやサフラン)が使われていただけなのです。

 

その後イギリスからカレー粉と「カレー」という名称がフランスに入ってきます。
この当時のフランスのカレーは、ザッと書くと小麦粉をバターで炒めて(焙煎風味付けではなく当時の小麦粉の臭みを消すため(製粉技術が未発達だった)なので短時間)ルーを作り(日本人の言う「ルー」とは意味が違う)、これをフォンで溶き伸ばして(ブルーテソース)カレー粉を加えたもの、あるいはアルマンドソース(ブルーテソース+卵黄、クリーム、レモン果汁)にカレー粉を加えたものが基本でした。
ブルーテソースもアルマンドソースもフランス料理では伝統的なもの

 

フランス料理のカレーはまずソースを作って、それを具材にかけるソース料理なのです。
一方のイギリス料理のカレーはソースを作らず、小麦粉の使用量も少なく(あるいは入れない)サラサラで、具材を煮込むシチュー料理でした。

 

 

 

以前書きましたが、明治初期に日本に広まったのはイギリスの家庭料理です。

フランス料理はホテルのレストランなどの高級店で出されました。
そもそもお店や料理人が少なかったことが、フランス料理が日本に広く普及しなかった理由です。

 

あとは「追い回し」という、新人が店に入ってもろくに教えずコキ使うやり方が日本のフランス料理界に持ち込まれたこともあります。
帝国ホテル第11代料理長の村上信夫が語っていたように、先輩の味はコソコソ盗むしかなかった。
追い回しは店の経営者からしたら非常に都合が良く、人件費を抑えられるだけではなく、若手が育って独立してライバル店を出すこともなかったわけです。
これではフランス料理の料理人は増えません。

また日本の公用外国語は事実上英語であって、海外の書籍を翻訳するのも英語が当たり前。
複数の外国語を入れてそれぞれの言語で派閥ができて対立することも恐れられていたのです。
だから英語の料理本の翻訳本ばかりが日本で出版されたのです。
これではフランス料理は習えません。

 

そして明治初期に入ってきたフランス料理のレベルはかなり低いものでした。
それはつまり、フランスではなく香港や上海から呼び寄せた料理人も、一般的に嫌がられた牛肉や豚肉を扱う仕事をするような人間も、二流三流だったからです。

 

 

 

それが明治30年代から、フランスへ修行に行く日本人料理人が出始めます。
近代フランス料理の父と呼ばれるオーギュスト・エスコフィエに師事する日本人がいたり、エスコフィエの料理本を日本語に翻訳したりと、徐々に日本のフランス料理はレベルアップしていったのです。

 

このようにして、帝国ホテルや築地精養軒ではレベルアップしたフランス料理が出されるようになるのですが。
築地精養軒の料理は純粋なフランス料理ではなく、イギリス料理と混ざった独自のものだったそうです。

築地精養軒
立派だね

帝国ホテルでもカレー作りに、小麦粉・カレー粉・タマネギを長時間炒めて焙煎風味を出す日本風のアレンジがされていました。
またこうして作られる茶色のカレーは、長時間炒めることで口当たりも良くなるそうです。
中国人は焙煎風味が嫌いで、カレーというと黄色いものを食べるらしい

 

この築地精養軒のレシピを集めたのが、料理長・鈴本敏雄が著した『仏蘭西料理献立書及調理法解説』(1920年(大正九年))です。

仏蘭西料理献立書及調理法解説
国会図書館より

この中に羊肉のカツのカツカレーが登場します。
つまり、この頃の築地精養軒ではカツカレーを出していたことになります(料理名は違うとしても)。

 

1894年(明治27年)のフランスの料理本にも、料理名こそ違えどトンカツのカツカレーのレシピが掲載されています。
また19世紀のイギリスの料理本にはサーモンフライのカレーがありました。
著者はフランス料理のシェフ
つまり、カツカレーはフランス生まれなのです。
なので築地精養軒でカツカレーを出していたのも当然だし、帝国ホテルなどのレストランでもカツカレーを出していた可能性はあります。

 

日本では老舗洋食店のいくつかで、「うちがカツカレーの元祖だ」ということを発信しています。
中には野球選手のリクエストで初めて作られたという逸話もあります。
その逸話が本当だとしても、カツカレーはフランス生まれの料理であって、日本の洋食店が作り出したものではないのです。
大体小さなお店の料理が勝手に日本中に広まるというのはちょっとおかしい。
一番有名なSは戦後に開店している
その他の店も客観的証拠がない

 

カツカレーは帝国ホテルや築地精養軒などのフランス料理店で出したものが日本でのスタートで、そこで修行して独立した人が日本中に広めたものなのです。

 

 

 

とても長くなって申し訳ないです。
それにしても近代食文化研究会の本は凄いですね。
他にも何冊もあって、これから読み進めていきますが、あと何個の嘘が登場するやら。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。