今回もまた書籍『新しいカレーの歴史 下: カレー、シチュー、ハヤシライス、肉じゃがの日本近代史』(← amazon、著:近代食文化研究会)の話です。
しつこくてすみません。
今回取り上げるのは福神漬。

私は過去二回、福神漬の記事を書きました。
※上記二つのリンク先の記事は、
・『と学会誌39』(2017年、著:と学会)内「福神漬とカレーライス」(著:光デパート)
・東洋経済ONLINE内「カレーに「福神漬」を入れる人が知らない"真実" いつから付け合わせに?背景を探る【前編】」(2022年、著:近代食文化研究会)
・東洋経済ONLINE内「福神漬VSたくあん「カレーのお供」巡る意外な歴史 いつから付け合わせに?背景を探る【後編】」(2022年、著:近代食文化研究会)
から引用しています。
上の二つのリンク先を読めば、なぜカレーライスに福神漬が添えられるのかが分かります。
で、『新しいカレーの歴史 下』にも福神漬に関する記述があり、個人的に上記二つの記事とまとめてしまいたかったのですね。
今回はそういうまとめ記事です、またちょっと長いですけど。
福神漬は徳川幕府の漬物方(食料調達係)である山田家が作った大根の醤油漬がはじまり。
醤油漬ならたくあん漬などより日持ちはする。
日本人は長い間、多くのご飯と味の濃い漬物を主に食べていた。
(たとえば19世紀から昭和30年代まで、都市部の成年男子は一日に四合から六合のご飯を塩辛い漬物と少量のおかずで食べていた)
だから米と漬物を常に用意する必要があった。
明治維新後に山田家は大根の醤油漬の缶詰化に成功。
東京・上野・池の端の酒悦がその製造を担当することになった。
缶詰の開発に時間がかかってしまったのは、漬物の食感を残しつつ高温で殺菌することが難しかったから。
(おでんの大根のようになってしまう)
しかし食品の長期保存をするためには殺菌は必須である。
福神漬の命名者は作家・梅亭金鵞(ばいていきんが)。
酒悦に醤油漬の名前を求められた梅亭金鵞は、野菜の種類を七つに増やすことを提案し、七福神になぞらえ「福神漬」という縁起のいい名称を考えて、キャッチコピーも提案した。
福神漬というのは厳密には漬物ではない。
福神漬は複数の漬物を原料にして作られる。
まず漬物を細かく刻み、水に浸けて漬物の養分(乳酸菌など)を出してしまう。
その後は機械でプレスして水分も抜いてしまう。
(生の大根をプレスすると大根おろしのようになってしまう)
そして醤油を中心にブレンドされた調味液で煮込んで味を付ける。
(家庭でも真似は可能)
その後はパッケージに入れて加熱殺菌して、出来上がり。
この作り方は上記の大根の醤油漬の缶詰から来ている。
追記:漬物を細かく刻むのは、殺菌で加熱する時間を短くするため。
追記:漬物は発酵食品で、その養分を出してしまった福神漬は非発酵食品。
福神漬は複数の漬物を原料としているため、それぞれの漬物の価格の推移に影響されにくい。
昔は野菜には旬があって、当然漬物にも旬があった。
福神漬はその時々に安い漬物を使えばいい。
また福神漬には、たくあん漬を作るときに出た端物や売れ残りも使われた。
長期保存が可能で価格が安定している福神漬の缶詰は軍に採用された。
また海外に出ていく日本人もこれを持参した。
(イギリスに留学した夏目漱石など)
日清戦争では複数種の漬物が戦地へ送られたが、当時の技術ではデリケートな温度管理など不可能であって、福神漬と梅干し以外は悪くなってしまった。
そんなものを兵隊に食べさせて腹でも壊されたら戦力に影響してしまう。
悪くなりにくかった梅干しは、収穫期が決まっていたので年中入手することは困難だった。
となると福神漬の缶詰一択ということになる。
福神漬は最初は複数の民間業者から軍が買っていたが、どこの製品も品質が悪かったので軍は自前の工場を建てて自ら製造するようになった。
日露戦争の頃に工場では福神漬の缶詰が大量に作られて、戦地へ送られた。
こうして戦地に行った大勢の兵隊が福神漬を毎日食べて、福神漬のファンも増えていった。
(一方で森鴎外のように福神漬に凝りた人もいた)
そして彼等が帰国すると、日本中に福神漬のブームが起こった。
明治の後半になって洋食店が庶民的になってきたとき、それまでパンだった主食がご飯に置き換わっていった。
当時はおかずとなる料理はご飯に比べて少なく、となると大量のご飯を食べるためのお供が必要となる。
そこで福神漬が選ばれた理由。
・代表的な漬物であるたくあん漬はスプーンでは食べづらいこと
(戦前までの洋食店ではフォーク・ナイフ・スプーンが使われていた)
最初から細かく切られている福神漬のほうが適していた
・福神漬は価格が安定していた(上述)
・福神漬は長持ちする(上述)
・全国的に知名度と人気があった(上述)
一方、一般家庭では箸で食事していたので、従来のままたくあん漬を中心とした漬物が食べられていた。
(福神漬は箸では食べづらい)
明治から大正にかけての洋食店では、カレーライスに福神漬の他に紅生姜とラッキョウ漬も付けるお店が多かった。
(帝国ホテルも含まれる)
これはイギリスのカレーライスに添えられていたピクルスの代替品。
戦前の成人男性は、軍隊ならば一日六合、都市部の事務職でも一日四合から五合のご飯を食べていた。
米の消費量のピークは1962年。
これが近年では約1/3に減っている。
それに対しておかずの量と数は増えている。
そうなると、ご飯を食べるための味の濃い漬物の出番はなくなってしまう。
戦後の洋食店では、フォーク・ナイフ・スプーンより箸で食事することが増えた。
とんかつは戦後になって厨房で切ってから出すようになったし、エビフライの海老も小型化、ハンバーグも柔らかくて箸で切れる。
この二つの要因から、洋食店での漬物の出番は激減した。
漬物を出すとしても浅漬やたくあん漬で、これは一般家庭と同様。
更に漬物の塩分は高血圧の原因になるという説が広まり、漬物の需要はどんどん減り、一般家庭で漬物を漬ける習慣も消えていった。
漬物メーカーでは生き残り策として、昔から変わらずスプーンを使って食べるカレーライスに着目した。
塩分量を大幅に減らした福神漬を開発し、福神漬はライスを食べるためではなく・彩り・箸休め・付け合せとして売り込んだ。
これにより、カレーライスにだけ福神漬が添えられる習慣が残ったのだ。
この他に紅生姜とラッキョウ漬も、カレーライスのお供として一部で生き残っていた。
(私が子供の頃の町の食堂で、カレーライスと共に小鉢で福神漬・紅生姜・ラッキョウ漬を出すお店があった)
1970年代後半から吉野家が急速に店舗数を増やしたとき、世間に「牛丼には紅生姜」という認識が広まり、その反動かカレーライスからは姿を消していった。
ラッキョウ漬は今でも一部のカレー店で見ることはあるが(大概はテーブルに常備)定番ではなくなり、スプーンを使うハヤシライスからは福神漬が消えたが、この辺りの具体的な理由は分かっていない。
福神漬に使われている刀豆(なたまめ)。
これは鉈(なた、刃物)の形をした豆で、未成熟なうちに輪切りにして福神漬に使われている。

刀豆は江戸時代からあった、ありふれた漬物用の野菜だった。
しかし刀豆は、漬物にする以外の用途がなかった。
なので戦後の漬物離れが起きたときに、福神漬以外では見ることがなくなったのだ。
私の世代でも、福神漬に入っている刀豆を見ると不思議に思ってしまう。
「カレーに福神漬を添えるようになったのは日本郵船から」
「阪急百貨店の創業者が日本郵船で海外へ行ったとき、福神漬付きカレーライスを食べて、阪急百貨店の食堂が開業するときに同じようにするよう指示を出した」
というのは嘘。
阪急百貨店の開業は1929年(昭和4年)、小林一三が初めて海外へ行ったのは1935年(昭和10年)。
1978年に出版された加藤秀俊『食の社会学』でこの説が初めて登場するが、裏付けする資料は何もない。
それを日本テレビの番組『TVムック 謎学の旅』がそのまま取り上げて、野口保太郎という実在しないコックを登場させて上記の説を言わせたのだ。
(「肉じゃがは海軍発祥説」も『謎学の旅』の捏造)
日本郵船の外国航路のカレーライスには福神漬は添えられていなかった。
福神漬は梅干しや野菜の酢漬けと共にテーブルに常備されていて、カレーライスをオーダーしなくてもいつでもつまめたのだ。
これは当時の鉄道の食堂車でも同様。
また当時の食堂では福神漬が全てのライスに添えられていたのも、いくつもの書籍に書かれている。
これを嫌い、別皿に盛ってほしいという記述も複数ある。
阪急百貨店の食堂で有名なソースライス(ソーライス、ソーライ)は、ライスのみをオーダーして添えられた福神漬とテーブルに置いてあったウスターソースだけで食べるもの。

昭和初期の恐慌期に阪急百貨店で、お金がなくカレーライスもオーダーできないお客が始めた。
小林一三はライスのみのオーダーでも、ご飯と福神漬を大盛りにするよう指示した。
景気が戻ったとき、ソースライスを食べていたお客が阪急百貨店に戻って来るはずだという考えからだ。
これだけを見ても、福神漬がライスのお供だったことが分かる。
実はこれより前に、東京の須田町食堂(1924年(大正13年)開業)では「ホワイトライス」が出されていた。

ホワイトライスはただのご飯にたくあん漬と福神漬を付けたもの。
これにかけ放題のウスターソースをかけたものがソースライスだ。
ソースライスは阪急百貨店の専売特許ということではなかったのだ。
大変長くなって申し訳ないです。
私の中にある福神漬の知識をまとめることができてスッキリしました。
もちろん今後、新しい資料が出てきてこれらが覆されることもあるでしょう。
でもそれでもいいと思います、楽しみが増えて。
こういう性格だと、貧乏でも老後を楽しく過ごせますよ、あっはっは。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。