スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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子供の私とガキ大将

私は小学生の頃、地方都市の郊外に住んでいました。
登校するときには近所の子が集まって、まとまって行くスタイルでした。
転校生で体が小さかった私は、そのグループでは下っ端。
一番体が大きい男子がリーダー格のガキ大将でした。

 

このグループは登校だけじゃなくて、普段の遊びでも一緒でした。
街から離れれば田畑が広がる場所でしたから、そういう場所を探検したり虫を取ったりということをよくやっていました。
あと海に行って浜辺で遊んだり、爆竹を買ってきて空き地で鳴らしたりも。
家で本を読んでいたい、小学校低学年の私にとってはやりたくないことばかりでしたがね。

 

この頃の私は自転車に乗れず、当然自分の自転車もなく。
みんなが自転車で移動する中で、二人乗りをさせてもらえることもありましたが、よく走ってましたよ。
今思えばですが、こういう遊びや付き合いは私を成長させてくれたと思っています。

 

 

 

私は一番下っ端だっただけに、時々いじめられました。
これはそこまでキツいことではなくて、ちょっといじって終わる程度のものでしたけど。
そんな私が困っているときには、仲間が助けてくれましたし。
なんだかんだでグループの結束は固かったのです。

 

このグループのガキ大将は、美容院の家の子でした。
機嫌が悪ければ私をいじめたけど、普段は頼りになるお兄さんキャラで。
人望は厚かったのです。
やはりこの頃は、体の大きさと体力が一番でした。

 

 

 

ある時、仮面ライダースナックが流行り始めました。
カルビーのスナック菓子に仮面ライダーのカードがオマケに付いてるアレですね。
今でもテレビで時々紹介されていますが、あの頃私は小学生だったのです。
当時の男子は多かれ少なかれ、あのカードを持っていたものです。

凄いセンスのパッケージ
四気筒なのにマフラーは六本

みんながカードを集めていた頃、実は私は『仮面ライダー』のことをよく知りませんでした。
というのも、その地方では日曜日の夜7時に『仮面ライダー』が放送されていたのですけど、日曜日は父親が休みで必ず家にいて、夜7時からの夕飯のときは必ずNHKニュースを観ていたからです。
19:20にNHKニュースが終わると私はチャンネルを換えて、仮面ライダーの最後のほうだけ観ていました。
だから物語もキャラもよく知らなかったのです。

 

私のグループでは、仮面ライダーカードを使ったメンコ遊びが流行りました。
それで私も、よく知りもしないのにカードを集め始めたのです。
仮面ライダースナックは薄味で、全然美味しくなかったけど捨てることはなかったです。
こうなると、「カードを沢山持っているヤツが偉い」という空気になります。
みんなやたらと仮面ライダースナックを買っていました。

 

 

 

ある休日に、ガキ大将が仮面ライダースナックを買うお金を母親からもらうと言い出して。
表が美容院になっている自宅へ行くというので、みんなでついていきました。
母親に言えばいくらでもくれる、そんな口ぶりでした。
我々は一回裏から家へ入っていきました。
ガキ大将は母親が働いている美容院に入っていって、我々は入らずに見ていました。

 

ガキ大将はすぐにお金をもらって出てくるだろう、そう思っていたら。
美容院から母親の怒鳴り声が聞こえてきたのです。

「あんたはそんな下らないものにお金使って!」
「いい加減にしなさい!」
「お金なんてあげないわよ!」

物凄い剣幕で、我々もビビって見ていましたよ。
ガキ大将はというと、ゴネてました。

「いいじゃん、お金ちょうだいよー」
「ねーねー」

これが母親の怒りの炎に油を注ぐことになってしまって。

「バカ! あんたになんかお金はあげない!」
「もうこれからはお小遣い無しだからね!」
「部屋に入って勉強してなさい!」

いやもう、怒ること怒ること。
そしてその母親は、しつこく食い下がるガキ大将にビンタを食らわせたのです!
火がついたように泣き出すガキ大将!
どうしていいか分からない我々は立ち尽くしていました。
ガキ大将は泣きながら二階へ上がっていきました。
気まずい我々はそーっと外へ出て、自然と解散していきました。

 

この件があってから、我々グループは仮面ライダースナックのカードで遊ぶのをやめました。
みんなのガキ大将を見る目も微妙に変わってしまい、ガキ大将はカリスマ性を失っていました。
いや単に、ガキ大将もみんなと同じ子供だっただけのことですけどね。
相変わらず登校はみんなでしていましたが、それ以外でグループで集まって遊ぶことは無くなっていったのです。

 

 

 

その後高学年になると、子供たちの間では体力だけでなく学力も注目されるようになりました。
相変わらず体の大きい強い子はリスペクトされましたが、勉強の出来る子もリスペクトされるようになったのです。
ガリ勉とか言ってバカにする子はいなくなり、成績がいいと「すげーなー」などと言われるようになったのです。

 

私はクラスで一番の成績でしたし、下積み時代のおかげで(笑)コミュ力もついたし、女子からはなぜか人気がありました。
かつてのようにいじめられることはなくなり、学校での居心地が良くなったのです。
私には通学のグループとは別の、自分に合う友達のグループができて、そっちとばかり遊ぶようになって。
ガキ大将や通学グループの連中との間には溝ができたと思います。
一生懸命集めた仮面ライダースナックのカードは、いつの間にか無くなってました。

 

 

 

そんな私は、五年生のときに自転車に乗れるようになりました。
親に自転車を買ってもらい、一人でも移動が可能になったのです。
徒歩と違って自転車ならどんどん遠くへ行ける!
移動の足を手に入れた私は嬉しくて、毎日走り回っていました。

 

私はこの頃から学校では学校の友達と遊び、それ以外の時間は一人で自転車で探検するようになったのです。
前に遠州焼きのことを書きましたけど、学区外の駄菓子屋で他校の児童と仲良くなったりしていたのはこの頃のことです。

私は一人で街にも海にも川にも行く、そんな楽しみを覚えました。
それから数十年後。
私はロードバイクを買って、同じように探検するようになるのです。

 

 

 

とりとめもない想い出話を書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。