スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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懐かしのミソカツ弁当

久々の更新です。
といっても普通のブログってこんなものですよね。
私の体調は悪くはないです。
少しだけ頭痛が残っていますが生活に支障はなく、明日病院に行く予定です。
もしかしたら、最近セーブしているお酒を飲んだほうが調子が出たりして(笑)。

 

 

 

まぁ冗談はさておき。
みそカツというと愛知県名物だってのはみなさんご存知だと思います。
トンカツに濃厚なみそソースをたっぷりかけた料理ですね。

みそカツの一例

愛知県だけに八丁味噌をベースにすることが多くて、独特な味わいがあります。
みそカツが食べられるようになったのは戦後のことですけど、詳しい発祥は分かっていないとか。

 

私は静岡県浜松市に住んでいたことがあって、当時は母がよく八丁味噌を使ってみそ汁を作ってくれました。
個人的には(子供のくせに生意気に)東日本に多い信州みそが好きで、独特の渋みのある八丁味噌は苦手でしたが。
そういうことを母に言わなかったという話は前に書きましたね。

 

 

 

時に、西暦1980年代前半(笑)。
私が就職して、すぐにバブル景気が始まって。
銀行や証券会社向けのソフト開発の会社に入った私は、多忙な日々を送っていました。
当時のソフト業界は人手不足で困っていて、現場では残業が当たり前でした。
新人研修中は毎日18時で上がれるので楽ちんでしたが、いざ配属されてしまうとそうは言ってられず。
当時の我々にとっての定時は、21時とか22時でした。
時間外手当はきちんと払われていたし、事前申告は不要だった

 

当時所属していたグループでは、18時からの休憩時間に当番が交代で近所のほか弁にみんなの夕食を買いに行く仕組みができていました。
事前に用紙を回してオーダーを取り、集金してまとめて買ってくるわけです。
外食したこともあるけど、一度この仕組みに乗っかってしまうと楽でね。
出掛けてお店を探して、席に座ってオーダーしてっていう手間が一気になくなるわけで。
みんな自席でムシャムシャと弁当を食って、その後の残業を頑張っていたのです。

 

※ちなみにほっかほっか亭のお家騒動は2006年から始まっていて、上記の頃はまだ平和でした。今の店舗数はほっともっとが一位、かまどやが二位、ほっかほっか亭が三位ですが、いわゆるツーオーダー方式(オーダーを受けてから作るやり方、待たされる)の人気低迷からこの順位もどうなるか。
このほか弁に関しては、マンガ『めしばな刑事(でか)タチバナ』第5巻の後半で詳しく描かれています。

『めしばな刑事タチバナ』第5巻より(原作:坂戸佐兵衛、作画:旅井とり、徳間書店

 

 

 

さてそんな頃。
ほっかほっか亭は新しい商品を打ち出します。
その名も、

佐野量子デザイン ミソカツ弁当」(¥430、当時、税別

です!

当時弁当を包んでいたチラシ
「お弁当にしたいアイドル」っていうのは意味不明

おそらく今これを読んでいる方の多くが、「佐野量子って誰?」って思うことでしょう。
騎手の武豊の奥様ですね。
若い頃はアイドルタレントとして活躍して、タヌキ顔のおっとりキャラで「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」に出演していました。
歌手としても多くの曲を歌っていて、アニメのテーマソングになった『夢からさめない』(作詞は秋元康、作曲は元オフコースの松尾一彦(← 小田和正の命の恩人(笑))、佐野は主役の声優も務めた)などがあります。
いわゆるB級アイドルですが、その中では上位の存在でした。

 

当時の私はアイドルの中でも、松田聖子や中森明菜などのメジャーなところに興味はなくて、B級アイドルが好きでした。
佐野量子も気に入っていて、その佐野が関わった商品ということでこれを買って食べてみたのです。

 

 

 

ほっかほっか亭のミソカツ弁当は1989年の4月から6月までの期間限定商品でした。
今でも覚えているのは、普通のみそカツが上記の画像のように「トンカツの上にみそソースがかかっているもの」なのに対して、ミソカツ弁当のは「トンカツの衣の中にみそソースが入っているもの」でした。

当時のチラシから

店内でのオペレーションを考慮してのことなのでしょう
この画像を見てもみそソースはありませんよね、でもこれが美味しくてね。
トンカツの衣のサクサク感を残しながら、味付けはしっかりでソース不要なのです。
付属のマスタードを付けてもまた美味しくて、弁当としても品数豊富でお得感満載でした。
これを気に入った私は毎回ミソカツ弁当を食べていたのです。

 

そしてその頃、私は実家の母と電話で話したとき、こういう美味しい弁当があるよってことを伝えたところ、母が食べたがって。
ところが当時両親が住んでいたエリアにはほか弁がありませんでした。
ネットのない時代ですから、どこにほか弁があるのかも分からず。
そのためだけに歩き回るほどの体力がある母でもなかったのです。

 

 

 

そんな母はある日、父と一緒に母が大好きだった庭園美術館に行ったそうです。

以前書いた記事 ↓

二人で目黒駅まで行って、緩い坂をどんぶらこ、どんぶらこと登って行って。
もうすぐ着くぞっていうときに、母は目黒通りの向かい側にほっかほっか亭を発見!
あった! ミソカツ弁当のお店だ!
一気にテンションが上がった母でしたが、これから美術館に行くのに弁当を買うわけにはいかず。
帰りに買ったとしても、電車の中で弁当の匂いをぷんぷんさせるのも憚られます。
大体年寄りにしてみれば、大通りを渡るだけでも大変なのです。
それで母は、またの機会にしようと諦めました。

 

やがて、ミソカツ弁当の販売期間は終了。
私は残念でしたが、ミソカツ弁当を期間限定だと知らなかった母は大変ショックを受けてしまったのです。
私が話してなかったのですね。

ああ、期間限定と知っていればもっと必死に探したのに!
息子は美味しい美味しいと毎日のように食べていたのに、私だけが食べられないなんて!

それで母も私もミソカツ弁当の再販に期待していましたが、ミソカツ弁当が売り出されることは二度とありませんでした。
そして佐野量子は芸能界を引退していったのです。

 

 

 

この件に関する母の恨み節は、晩年まで続きました。
他のみそカツは、ほか弁のミソカツ弁当のみそカツとは別物です。
衣の中にみそが入っているみそカツは、もうどこにもありません。
母はその味を想像するしかなく、食べ物の恨みは恐ろしいのです。
結局母はほか弁のミソカツ弁当を食べられないまま、天国へと旅立ちました。

 

飲食店の怖いところですよね。
そのお店が出さなくなれば、あるいはお店が無くなれば、その料理は二度と食べられない。
正確な再現法を知っているなら別ですけど、そうでなければ料理自体を長く保存することは不可能です。
更に、味の記憶というのは時間が経つと美化されてしまいます。
たかが弁当、されど弁当。
私もできることなら、もう一度ミソカツ弁当を食べたいです。
ほっともっとでもほっかほっかでもいいから、また出してくれないかなー。

 

 

 

というわけで、ミソカツ弁当の想い出話を書きました。
また体調を見ながら投稿したいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。