※今回は志賀直哉の小説のネタバレがあります、ご注意ください。
私の亡き両親(昭和一桁)が生前よく言っていたのは、二人が若い頃に日本語のお手本となったのは志賀直哉(1883年(明治16年)~1971年(昭和46年))だということです。
ああいう文章を書けるようになれ、そういう意味のことをよく言われました。
志賀直哉は子供の私にとっては縁遠い小説家ですけど、大学生になって長距離通学をするようになり、文庫本とウォークマンの音楽がお供となった頃に思い出して読んでみたのです。
何冊か読みましたが、志賀直哉はSF好きで理系大学生の私には面白いとは思えませんでした。
志賀直哉の短編小説に『小僧の神様』(1920年(大正9年))という作品があります。
志賀直哉が売れ始めた頃の作品だそうです。
もっとも、太宰治はこの作品は嫌いだったそうですが。
あらすじは、秤屋(はかりや)の小僧(仙吉)がお使いの帰りに屋台の寿司屋に寄ったが持っていたお金で寿司は食えず、それを見ていた若い貴族院議員(A)はそれを可哀想に思います。
あの場で自分が奢ればよかったと後悔するA。
後日Aは偶然、仙吉が働く店で秤を買うことになり仙吉に気付きますが、仙吉はAを知りません。
Aは買った秤を仙吉に運ばせ、途中で秤は運送屋に任せて、仙吉を寿司屋に連れていきます。
先に支払いを済ませてAは去っていってしまい、仙吉は事情が分からないまま寿司をたらふく食います。
その後Aは自分の行いから、罪悪感のようなものを感じます。
一方の仙吉はAが自分のことを知りすぎていると誤解して、もしかしたらAは神様のような方ではないかと思うのでした。
今読むと面白いけど微妙なところです。
まぁそんな感想はいいとして。
この小説の背景について、いつもの近代食文化研究会の本に書いてありまして、私はなるほどと思ったわけです。
『牛丼の戦前史』(著:近代食文化研究会、amazon Kindle版)
まずAは「若い貴族院議員」であって、世襲制で議員になった華族であるとこの本には書いてあります。
一方の仙吉は小僧ですから、社会の底辺に近い存在です。
この二人のコントラストがポイントとなります。
当時の小僧や丁稚の食生活は悲惨だったそうです。
店の言いつけを守って生活していた小僧や丁稚は、栄養失調からくる肺病で次々に亡くなってしまったが、こっそり買い食いしていた人たちは生き残ったとのこと。
皆「自分は長生きできないだろう」と思いながら生活していたそうです。
動物性タンパク質と脂質が凄く不足していたわけです。
これは店が食費を節約するためにしていたことではなくて、当時の商家には精神修養のために小僧や丁稚に貧しい食事をさせて物を大切にする精神を育てるべしという倫理観があったのだそうです。
この倫理観が適用されたのは、小僧や丁稚だけではなく店の跡取りも同じでした。
立派な商人になるためには必要なことと世間では思われていたのです。
次に、冒頭で番頭さん同士の会話に出てくる「鮪の脂身」はトロのこと。
明治時代は下層階級向けの屋台ではトロが出されたが、上流階級の行く寿司屋では下品であると出さなかったそうです。
これが変わったのは大正時代のことです。
ただ大正時代は過渡期であって、トロの立ち位置はまだ決まってなくて、また寿司はデリバリーで自宅で食べるものという明治時代の意識も残っていたそうです。
番頭さんたちが話していた寿司屋は、東京では有名店だった幸(こう)寿司です。
仙吉は幸寿司には入れず(帰りの電車賃の4銭しか持っていなかったから)、その近所にあった同じ名前の寿司屋台へ入ります。
長い距離を徒歩で帰ってでも、それで浮かせたお金で何かを食べたかったわけですね。
当時はきちんとした寿司屋の安価な支店として、同じ名前の屋台があったのです。
若い寿司職人の修行だったり老職人の小遣い稼ぎの場が屋台であって、店の名前がお客に信頼感を与えたわけです。
(後半で仙吉が寿司を食べたお店・松屋のモデルは花屋というそうです)
(花屋は、江戸時代の寿司職人の名人・華屋与兵衛のひ孫がやっていた店)
Aは同僚のBから屋台の寿司を勧められます。
明治時代なら議員が下品な寿司の屋台に入るなど、世間が許さなかったのですが。
大正時代になると上流階級の人たちの中で好奇心の強い者が寿司の屋台に入るようになります。
そういう自分こそが食通(グルメ)であるというプライドもあったことでしょう。
このBもそういう人物で、勧められたAが屋台へ入ることが明治の頃よりも普通になりつつあったということなのです。
でなければAと仙吉の出会いもなかったわけで。
志賀直哉はその寿司の屋台に目をつけたというわけ。
屋台人気の高まりから、屋台を模した寿司店(土間で土足のままでカウンターの前で食事して、向こう側で調理をする)が出始めたのもこの頃です。
出前の寿司店
↓
店内で飲食する寿司店
↓
屋台か屋台を模した寿司店
こういう変化が明治・大正期にあったのですね。
時代は前後しますが、天ぷら店やおでん店などにも似たような変化が起こりました。
明治後期から昭和初期の間の東京では、食のボーダレス化が進んだのです。
こういう知識を得てみると、『小僧の神様』の世界もリアルに感じられるようになりますね。
近代食文化研究会の本を読む前とは別物に思えます。
私が前から書いている、「文化は時代と共にある」ということの意味も分かっていただけると思います。
今の令和の時代の空気だって、百年先の人間に正確に把握できるとは限らないのです。
久しぶりにグリーンカレーを作りました。
グリーンカレーペーストは通販で買いました。
113g(9人分)で¥443、カルディにもありそうですね。

インド系のカレーを作るより簡単で、グレイビーを作る工程が省略できます。


美味しかったです。
具材をいくつか買って切らないといけませんけど、難しいことではありません。
自宅でタイ気分に浸りましたよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。