スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

ウルトラマンの設定・昔話

黒い焼きそばについては、まだ試行錯誤が続いている状態です。
こないだはしょう油の代わりにソースを使ってみたけど、お店のような「ソースがガツン!」みたいな味には程遠いです。
もしかしたらお店のって、ソースの量が半端ないのかなぁ?
納得の味になったらここに書きますね。

 

 


 

 

日本人なら誰もが知るスーパー・ヒーロー、ウルトラマン
ウルトラマンは今でも新作が作られる、息の長い人気コンテンツです。
ウルトラシリーズ最初の作品は『ウルトラQ』(1966年)で、この作品には変身巨大ヒーローは出てきません。
二作目の『ウルトラマン』(1966年)において、初めて変身巨大ヒーローが登場しています。
今回は、ウルトラシリーズの設定についてのお話です。

 

 

 

まず『ウルトラマン』から。
ウルトラマンは光の国の警備隊員です。
ウルトラマンは逃亡した怪獣・ベムラーを追って地球にやってきます。
ベムラーを追跡中に、ジェット戦闘機でパトロールしていた科特隊(かとくたい、科学特捜隊)のハヤタ隊員が操縦する機体と衝突、ジェット戦闘機は墜落しハヤタは死んでしまいます。
責任を感じたウルトラマンはハヤタと一体化し、ハヤタを生き返らせ、地球を守るために戦うことになります。
自分の隊に戻らなくていいの?
このとき竜ヶ森湖の湖畔でキャンプしていた若者たちが歌っていたのは、ザ・ブロードサイド・フォーの『星に祈りを』

 

私は当時見ていて、具体的な説明が不足していたので、ハヤタの姿のときはハヤタの意思で、ウルトラマンに変身するとウルトラマンの意思で動いているものと思っていました。
でも最終回で、ウルトラマンとハヤタが分離した後のハヤタのセリフから、彼がウルトラマンと衝突してから今までの記憶を持っていないことが判明。
つまり、この番組ではずっとハヤタの意思は止まっていて、ハヤタもウルトラマンウルトラマンの意思で動いていたことになります。
意外(設定上はあいまいなままになっている)。
でも当時のドラマとしては、最初と最後で整合性が取れているわけで、そこはまぁ評価してもいいでしょう。
子供番組の設定の整合性なんて適当な時代でしたから

 

 

 

次の作品の『ウルトラセブン』(1967年)の場合。
ウルトラセブンはM78星雲から地球を観測に来た宇宙人です。
放映当時はまだウルトラシリーズが共通の世界観の中にあるという設定はない
地球の美しさに感動し、それを侵略しようとする宇宙人が多数いたために、彼は地球を守るために戦う決意をします。
これも個人的な意思

 

ウルトラセブンが初めて地表近くに降りてきたときに偶然目撃したのが、登山中の事故で仲間を救うために自分の命を投げ出した青年の姿でした。
セブンは彼を助けます。
その勇気に心打たれたセブンは、彼の姿形をコピーし、人間のモロボシ・ダン偽名)として地球に降り立ちます。
ダンは戸籍も住民票も持っていないのに、ウルトラ警備隊(地球防衛軍内のエリート部隊)に入隊してしまう

 

つまり、モロボシ・ダンウルトラセブンであり、ダンの姿のときにもセブンの意思で動くし、透視などの超能力も使えたわけです。
本編ではカットされてますが、シナリオではキリヤマ隊長が未知の巨大ヒーローのことを「ウルトラ警備隊の7番目の隊員」と言うシーンがあり、それが「ウルトラセブン」という名前に繋がっています。

 

シリーズの最後のほうでセブンは幾多の戦いの中で傷つき、セブンのときもダンのときもまともに戦うことができず、それでも敵を倒すために立ち上がります。
そしてアンヌ隊員に自分の正体を告げ、最後の戦いに勝ち、M78星雲へ帰っていくのです。
最初から最後まで、セブンとダンの設定にはまったくブレがありませんでした。

 

 

 

次は『帰ってきたウルトラマン』(1971年)です。
怪獣が出現し街を破壊していたとき、逃げ遅れた少年を救うために飛び出し、そこで負った怪我により死んでしまった郷秀樹という青年が主人公です。
彼は自動車整備工場で働きながらレーサーを目指していた一般人です。

 

ウルトラマンは宇宙警備隊員として、突然郷の病室に登場します。
この作品内では彼だけの固有名詞がなく、後に「ウルトラマンジャック」と設定されているが、ファンは「新マン」や「帰りマン」と呼ぶ
郷の勇気ある行動に感動したウルトラマンは、郷と一体化して郷を生き返らせ、共に地球を守るために戦うことを決意します。
設定上は上司のゾフィーの命令で地球に来ている
この作品からウルトラシリーズが共通の作品世界にあることが示されるようになる

 

郷はMAT(マット、Monster Attack Team)の加藤隊長にスカウトされ、MATの隊員となります。
この設定は、前の『ウルトラマン』をベースにしたものになっています。
この作品の場合は郷の意識が明確に存在し、彼の成長物語という性格も帯びています。
郷は「ウルトラマンになる」という言い方もしていて、二人の意思は明確に分けられています。

 

と、ここまではいいのですが。
最終回で二代目ゼットンとの戦いに勝った後、世話をしていた坂田次郎少年とルミ子に自身の正体を話し、郷はウルトラマンに変身して危機が迫るウルトラの星へ帰っていってしまうのです。
え?
おかしいでしょ?

 

郷秀樹は人間で、ウルトラマンは宇宙人で、二人が合体していたのですよね。
で、郷は郷の意思で動いていたわけで、それがウルトラの星へ帰るというのはおかしいです。
最後に次郎に接する態度は郷そのものであるのに、郷の意思はウルトラマンに乗っ取られてしまったのでしょうか。
MATでの郷の扱いは殉職
合体した二人を分離させなかった脚本家(上原正三)の意図が、どうにも分からない終わり方になっています。
当時番組を見ていた私も、頭の中に疑問符があふれた覚えがあります。

 

 

 

実は『帰ってきたウルトラマン』は当初、本当に初代がそのまま帰って来る設定でした。
初代は絶大な人気を誇っていたものの、予算的にはギリギリでやっていて、スケジュール的には限界まで来ており放送の継続は不可能との判断で終了しています。
当時見ていた子供の私も、突然の最終回に死ぬほど驚いたものです。
だから続編を、というのは当然の考えです。

 

ウルトラマンの再登場」が変更されたのは、おもちゃメーカーの意見が大きかったようです。
つまり、新しいウルトラマンを出せば商品も全部新しく作り直すことになり、子供たちは一から買い直すことになるから。
そして円谷英二命名したタイトルだけがそのまま残ったのです。

 

それから郷秀樹とウルトラマンの意思の件ですが。
これも当初はウルトラセブン的に、ウルトラマンが人間の姿を借りて活躍する設定でした。
その後スタッフ内での協議の末に、人間・郷秀樹の成長物語へと変更されたのです。
プロデューサーの橋本洋二の意見が大きかったらしい

 

 

 

昔話を長々と書いてすみません。
こんなウンチク話で少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

 

急に寒くなってきました、ご自愛ください。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。