スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

カレーと私 番外編

私は気になることがあると、すぐに調べるタイプです。
昔と違って今はネットがあるから(ChatGPTもね(笑))、調べ物は楽になりました。
それでこないだ、あることを調べていて行き着いた本がありまして。

と学会誌39

これ ↑ です(リンク先はamazon)。
みなさんは「と学会」という名前くらいはご存知ではないでしょうか。
オカルトとかUFOとかを扱う本を中心に、間違い探しをしたりして楽しんでいる人達の集まりがと学会で、そのと学会は多数の書籍を出しています。
私は特にファンではなくて、アンチでもなくて、上記の本を見つけて読んでみたら非常に面白かったという話です。

 

この本の最初に登場するのは、光デパートさんの『福神漬けとカレーライス』という記事です。
この記事を読むと、
なぜカレーライスに福神漬けが添えられるようになったのか
そのカラクリが分かります。
あまりに面白い記事だったので、ここにその要約を書きます。
もし気になったのなら、上記の本を読んでみてください。
かなり詳しく書いてあって勉強になりますよ。

 

 


 

 

まず、福神漬けというのは厳密には漬物ではないということ。
福神漬けは複数の漬物を原料にして作られる。
まず漬物を細かく刻み、水に浸けて漬物の養分を出してしまう。
その後は機械でプレスして水分も抜いてしまう。
そして醤油を中心にブレンドされた調味液に漬け込んで味を付ける。
その後はパッケージに入れて加熱殺菌して、出来上がり。

 

普通の漬物は発酵食品なので痛みやすい。
特に明治時代は今ほどの衛生管理が出来なかったから、漬物で腹を壊すこともあった。
だけど福神漬けには乳酸菌などの悪くなりやすい養分がないので、傷みにくい。

 

昔は野菜には旬があって、野菜を使って作られる漬物にも旬があった。
だから同じ漬物が一年中食べられるわけではなかった。
福神漬けの場合は複数の漬物を使い、その種類は限定されていないので、そのときにある漬物を原料にすればよく、一年中作れた。
一つの野菜の価格が高騰したら、それを使わなければよくて、コストを抑えやすかった。
しかも福神漬けは漬け込んだりする必要がないので、食べられる状態になるまでが早かった。

 

漬物を缶詰などにするときに加熱殺菌をするが、長時間加熱すると漬物の食感が失われてしまう。
福神漬けが細かく刻まれているのは、加熱時間を短くするため。
そして最初から刻まれている福神漬けは、食べるときに切る必要がない。
洋食店ではお箸を使わずナイフとフォークで食事していたため、最初から細かく刻まれた福神漬けは食べやすく、厨房の手間も減る。

 

 

 

日本人は長い間、ご飯と漬物というコンビを愛してきた。
このコンビはマストであって、ご飯だけで食事することは昔は考えられなかった。
例え貧乏でおかずがなくても、ご飯が麦飯でも、漬物だけは必ず用意された。

 

日清戦争日露戦争のとき、兵隊に食べさせるためにお米と共に漬物も大陸に運ばれた。
最初はたくあん漬けもあったけど、それが悪くなって兵隊がお腹を壊す事態になり、やがて福神漬けだけが運ばれるようになった。
福神漬けは最初は複数の民間業者から軍が買っていたが、どこの製品も品質が悪かったので軍は自前の工場を建てて自ら製造するようになった。
工場では福神漬けの缶詰が大量に作られて、大陸へ送られた。
こうして戦争に行った大勢の日本人が福神漬けを毎日食べて、福神漬けのファンも増えていった。
そして彼等が帰国すると、日本中に福神漬けのブームが起こった。

 

明治時代になって日本に出来始めたレストランは、明治後期に段々と庶民化していって洋食店となり、それまでパンが主食だったのがご飯に入れ替わっていった。
ご飯とくれば漬物で、たくあん漬けなどの発酵食品は食中毒の危険があるため、福神漬けが添えられるようになった。
カレーライスに限らず、ライスあるところに福神漬けがあったわけだ。

 

 

 

昭和4年に開業した阪急百貨店の食堂では、カレーライスが人気だった。
だがその頃は大恐慌が起きていて不景気で、安いカレーライスさえ食べられない人もいた。
そういう人達は阪急の食堂に来ると、ライスだけをオーダーした。
この頃には「ライスには福神漬け」というのが当たり前になっていたから、ライスには福神漬けが付いているし、テーブルにはソースが置いてあるので、それらと一緒にライスを食べていたのだ。
このメニューのことを「ソーライス」とか「ソーライ」と呼んでいた。

 

阪急の創業者の小林十三は、ソーライスのご飯を大盛りにして、福神漬けもたっぷり添えるように指示した。
普通なら嫌がられる「ライスのみのお客」を、小林は大切にしたのだ。
いつか景気が良くなったときに、ソーライスを食べていた人達が阪急に買い物に来てくれるはずだという「損して得取れ」を実践したのだ。

 

 

 

関東大震災で焼け野原となった東京では、日本橋の魚河岸が長く壊滅状態のままで、魚の流通が滞った。
それに対して牛や豚の屠殺場は大震災の数日後に稼働しはじめたため、牛肉と豚肉が東京中に普及するようになった。
これらの肉を大鍋で煮込めば作れるカレーライスと牛めしの店が、焼け野原の東京に次々とできた。

 

戦前の洋食店ではカレーライスには福神漬けだけではなく、ラッキョウ漬けや紅生姜も添えられていた。
ラッキョウ漬けと紅生姜は非発酵食品であり、酢漬けなので痛みにくかった。
つまり、福神漬けはライスのお供であり、カレーライスのお供は福神漬けとラッキョウ漬けと紅生姜のトリオだったということだ。
この習慣は戦後まで続いた。

 

なぜカレーライスにだけ三種の漬物が添えられたのか。
著者が推測したのは、昭和初期の東京の百貨店では自分達の食堂のカレーライスを、本郷バーや須田町食堂の安価なカレーライスや、新宿中村屋の高級なカレーライスと差別化をするために、福神漬け・ラッキョウ漬け・紅生姜の三種をライスのお皿とは別の容器に盛って出したのではないか(ライスと同じお皿に漬物を添えることを嫌がるお客もいたため)、そしてそれが広まったのでは、ということ。

 

そして1970年代のどこかで、洋食店のライスに添えられた漬物は消え去り、カレーライスに添えられていたラッキョウ漬けと紅生姜もなくなり、カレーライスにだけ福神漬けだけが添えられるようになった。
その理由はまだ分かっていない。

 

 


 

 

さて、下手くそな要約でしたが、いかがでしょう。
これまであちこちに「カレーライスに福神漬けが添えられるわけ」はありましたが、ここまで詳しく調べた記事は始めて読みましたよ。
きちんと資料を調べて、具体的な証拠を元にして書かれているので説得力があります。
こういう、賢い人がきちんと書いた記事って大好きです。

 

あと、カレー屋さんによってはテーブルやカウンターにラッキョウ漬けが置いてあることがありますよね。
あれは傷みにくい漬物だからということと、過去の洋食屋さんの習慣の名残りなのかもしれません。

 

『と学会誌39』には他にも、面白い記事がいくつも掲載されています。
面白い本ですから、是非。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。