(タイトル編集しました)
前回前々回に続いて、映画『ブレードランナー』のことを書きます。
(ここではファイナル・カットを対象とします)
今回はストーリーのことを書くので、まだ観ていない方はご注意を。
完全にネタバレです。
近未来の地球は環境破壊が進み、人類の多くは宇宙の植民地へ移住していた。
そこでの危険な労働は、タイレル社が製造した人造人間(機械的なロボットではなく遺伝子工学によるもの)のレプリカントが従事していた。
レプリカントは肉体も知能も優秀であり、中には自分達の境遇を嫌がり逃走する者もあった。
地球へと戻ってきたレプリカントを解任(廃棄処分)するのは、ブレードランナーと呼ばれる警察官だ。
この映画で描かれる世界は、それまでのSF映画と違って暗いです。
それはつまり、この映画が公開された1980年代前半において既に「未来はバラ色」というのがウソだという空気が世の中に蔓延していたということを示しています。
環境・公害問題、資源やエネルギーの問題、人口爆発と食糧危機の問題、いつまでも無くならない戦争、いつまでも治療法が見つからない難病・障害、いつまでも無くならない犯罪・汚職……
ここで『鉄腕アトム』みたいな清潔な未来都市を描いたところで、観客は白けてしまうでしょう。
タイレル社へレプリカントの「ネクサス6型」が侵入したという情報から、ブレードランナーのホールデン(演:モーガン・ポール)が調査に行く。
レプリカントかどうかを判定するには、「フォークト=カンプフ検査」を行うしかない。
(この時代の)人間の感情を揺さぶるような質問を繰り返し、その反応を見るのだ。
廃棄物処理技術者のリオン・コワルスキー(演:ブライオン・ジェームズ)は検査中に、隠し持っていた銃でホールデンを撃ち逃亡する。
この後のデッカードが事件のことをレクチャーされるシーンで、逃走したレプリカント達の映像が出てきますよね。
リオンは変装していないのだから、外見でレプリカントだと分かりそうなものですけど……
実はホールデンは殺されてはいなくて、病院で治療を受けているところへデッカードが訪ねていくシーンが撮影されています。
ただそのシーンは本編では採用されませんでした。
主人公のリック・デッカード(演:ハリソン・フォード)は元ブレードランナー。
無職の彼が屋台で食事していると、元上司の指示でやってきたガフ(演:エドワード・ジェームズ・オルモス)に連れ去られてしまう。
元上司のハリイ・ブライアント(演: M・エメット・ウォルシュ)は地球へ戻ってきた4体のレプリカントの解任を、半ば強引にデッカードに命じる。
デッカードはレプリカントの情報を得るためにタイレル社に行き、エルドン・タイレル博士(演:ジョー・ターケル)の希望によりその場にいたレイチェル(演:ショーン・ヤング)という女性にフォークト=カンプフ検査を行い、彼女もレプリカントであることを見抜く。
どうやら彼女は特殊な試作品のようだ。
デッカード初登場シーンで、彼の後ろのディスプレイに「源」という漢字があるのは、彼がこの物語の根源であるという意味です。
彼は元ブレードランナーなのに、レプリカントについての知識がないのは不自然ですね。
ちなみに「私と映画 4」で書いた「二つで十分ですよ」のシーンですけど、ちょっと書き足りなくて。
あのシーンは、デッカードが店のおやじに無理に魚を四匹乗せた魚丼をよこせと言い、おやじは多すぎると抵抗しますよね。
で、先に追加のうどんみたいなのが出されて、その後でメインの魚丼が来るわけですけど。
おやじは最後まで抵抗して、丼に魚を二匹しか乗せなかったのです。
(前々回に掲載した画像参照)
で、自分のオーダーが通らなかったことでデッカードはガッカリするっていう流れです。
どうでもいいか(笑)。
レイチェルは自分自身がレプリカントではないかと疑っていて、それを確かめるためにデッカードの自宅へやってくる。
そこでデッカードはタイレル博士から聞いていた、レイチェルに埋め込まれた別人の記憶のことを語ってしまい、レイチェルは泣きながら去っていく。
この映画の中では、レプリカントには記憶を埋め込むことで感情が安定するという設定があります。
過去を持たせるってことですね。
だからそれぞれに他人の記憶が埋め込まれているし、レプリカントは写真を欲しがるのです。
原作者のディックは現実と虚構、自分の存在、そういったことを繰り返し書きました。
現代人の我々は、あらゆる物事が現実なのか虚構なのか、アバウトな世の中に生きています。
自分って本当に現実に生きている人間なのだろうか?
物や人にリアルに直接接しなくても大量の情報を得られる時代。
食べ物飲み物の味や香りだって作り物のほうが多いくらいだし。
現代人の多くはなんとなく流されて生きているだけで、夢や幸福にリアリティがなくなってしまっています。
作り物のほうが出来が良いのですからねぇ。
逃亡したレプリカント達のリーダー、ロイ・バッティ(演:ルトガー・ハウアー)はリオンと共に、レプリカントの眼球を作っている遺伝子工学者のハンニバル・チュウ(演:ジェームズ・ホン)の工房へ押し入る。
レプリカントには四年間の寿命があり、自分達はそれ以上の長生きをしたくて、なにか方法がないかと動いていたのだ。
天才科学者のタイレル博士はセキュリティが厳しいから会うことができない。
チュウから遺伝子工学技師のJ.F.セバスチャン(演:ウィリアム・サンダーソン)のことを聞き出し、慰安用レプリカントのプリス・ストラットン(演:ダリル・ハンナ)を差し向けて自宅へ入り込むことに成功する。
プリスがセバスチャンと出会って、部屋へ来るように言われた後、プリスの後方に映る街灯にご注目を。
まるで猫の目のようですよね。
これももちろん計算されたもので、プリスが何か企んでいるということです。
一方デッカードはレプリカント達が泊まっていたホテルで見つけたウロコから人工蛇を探り当て、バーでその人工蛇を使ったダンスをするゾーラ・サロメ(演:ジョアンナ・キャシディ)を見つけ出し、逃走しようとするゾーラを射殺する。
現場へやって来たブライアントから、レイチェルが逃走したからこれも解任するよう命じられるデッカード。
デッカードが買っていたチンタオってお酒、この映画が公開された頃には実在したらしいです。
私は詳しくないのですけど、中身はウォッカだそう。
そこへ現れたのはリオン。
体力的に圧倒的なリオンはデッカードを追い込むが、レイチェルがデッカードが落としたブラスターでリオンを射殺する。
二人はデッカードの自宅へ戻り、愛し合っていることを確かめ合う。
ここで二人のキスシーンがあります。
実際にはこの後にHするシーンも撮影されていて、ドキュメンタリー映画で観られます。
セバスチャンはロイとプリスからタイレル博士に会わせるように頼まれ、彼等に早老症で寿命が短い自分と似たものを感じて、ロイをタイレル博士に会わせる。
ロイは延命策があるはずだとタイレル博士に迫るが、タイレル博士は不可能だと突っぱねる。
絶望したロイはタイレル博士とセバスチャンを殺害する。
もしロイ達のようなレプリカントに寿命が設定されていなかったら、大変なことになってますね。
そして自分の寿命を知らされて生きているレプリカント達の恐怖感はいかばかりのものなのか……
デッカードは二人が殺害されたことを知らされ、セバスチャンの自宅へ行くように命じられる。
デッカードはそこにいたプリスと格闘の末にプリスを射殺する。
そこへ戻ってきたロイとデッカードの戦いが始まる。
格闘では勝ち目のないデッカードは銃を撃ちまくるが、ロイには中々当たらない。
そしてロイに指を二本折られてしまうデッカード。
ロイはまるでゲームのようにデッカードを追い込んでいく。
するとロイの手が麻痺しはじめて、釘を刺して感覚を取り戻そうとする。
ロイにも時間がなくなってきたのだ。
デッカードも折られた指を伸ばしテーピングするが、逃げる途中でブラスターを落としてしまう。
お気付きでしょうが、デッカードはずっと感情を露わにせず、ぼんやりボケーっとした感じでいました。
ロイと比べたときに、どちらが人間らしいと言えるのか。
それがここに来て、やっと必死になりはじめたのです!
屋上へ逃げたデッカードは、隣のビルへ飛び移ろうとして失敗し、手だけでぶら下がることに。
そこへロイがやってくる。
デッカードの手が離れた瞬間、ロイはデッカードの手をつかみ屋上へと引き上げる。
いよいよ殺されると思ったデッカードの前で、ロイは語り始める。「おれはお前ら人間には信じられぬものを見てきた」
(略)
「そういう想い出も消える」
「時が来れば」
「涙のように」
「雨のように」
「その時が来た」
セリフは字幕から起こしましたが、本来は「雨の中の涙のように」でしょうね。
All those moments will be lost in time like tears in rain.
この泣けるくらい素晴らしいシーン、ロイの独白の多くは、ルトガー・ハウアーのアドリブだそうです。
多くを説明せず、この語りだけで観客の心に訴えてくる凄さ。
するとそこへスピナーがやってきて、ガフがデッカードが落としたブラスターを放り投げて、レイチェルが死んでしまったようなことを言い残す。
自宅へ戻ったデッカードはレイチェルの無事を確認して、二人でどこかへ逃走しようとする。
玄関を出たところで、ガフが折ったユニコーンの折り紙を見つけて、何かを確信するデッカード。
エレベーターのドアが閉まり、この映画は終わる。
現実と虚構が曖昧な、自分の周囲にいる人達だけではなく自分自身の存在さえ不確かな現代人。
ドラマや映画やマンガの登場人物のように、何かのために必死に頑張るなんて滅多にない人がほとんど。
限られた命を必死に燃やすレプリカントとは対照的です。
(でも我々人間も不死身じゃないからいつかは死ぬ)
ポストモダンな街にしたって、現実はこれからもこんなもんだよってことだし。
1980年代の世の中と、「あなたはそれでいいのか?」ってことを感じさせてくれた映画です。
さて、かなり長くなってしまいました。
まだまだ書きたいことはありますが、『ブレラン』については一旦終了とします。
長くお付き合いいただき、ありがとうございました。