スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

カレーはどこから来たのか?

みなさんは、マルコポーロの『東方見聞録』という書物の名前くらいはご存知かと思います。
(居酒屋チェーンではない)
日本を黄金の国と言いながら実は日本には行ったことがなかった、というエピソードも有名です。
今回はこの辺りのお話をカレーを絡めて食べる……いや書きます。
長いお話になりますが、お付き合いください。

 

 

 

マルコポーロは父と叔父と一緒にアジアを旅して(1271年にヴェネツィアから出発)、元ではクビライに気に入られて役人として各地を訪れ、24年後にヴェネツィアに戻っています。
その後ジェノヴァとの戦争に行き、捕虜となった数カ月間に捕虜仲間に口述したのが『東方見聞録』です。
(かなり盛ったらしい)
その後『東方見聞録』は多数の写本が作られ(印刷機がまだなかったから)、世界中に広まっていくのです。
(この写本の内容にはかなりのバラツキがある)

 

 

 

さて、この時代のヨーロッパには冷凍・冷蔵の技術はなくて、食肉の保存が今ほどたやすくなかったのです。
塩漬けにするか干し肉にするか、その程度の保存法しかなくて、まぁ肉ってのは臭いものだったらしいです。
そこへアジアから胡椒が持ち込まれました。
胡椒は肉の臭みを消すだけでなく保存にも使えることが分かり、大ヒット。

 

この頃の香辛料貿易はアラブの貿易商が握っていて、ヴェネツィアと結託して高い関税をかけ、大儲けをしていました。
(『アラビアン・ナイト』の世界の好景気はここから来ている)
(好景気のヴェネツィアルネサンスの中心都市となっていく)
(この頃にインドに来た三蔵法師(本名:玄奘(げんじょう))も香辛料が取り引きされている様子を見ている)
(あ、『西遊記』はフィクションですよ!)
当時のヨーロッパでは胡椒は、同じ重さの金の価値があるとされていたとか。

 

スパイスの産地の情報はヨーロッパには中々伝わらなかったらしく、ヨーロッパの国々では人々は高価なスパイスを買うしかありませんでした。
胡椒がもっと欲しいのに、ああそれなのに15世紀にオスマン帝国が地中海貿易を支配し、更に高い関税をかけてしまいます。
イスラムめー!

 

 

 

そこで注目されたのが『東方見聞録』です。
この本にはアジアのことが事細かに記述されていて、スパイスの産地のインドとかのことも分かりました。
なんとか地中海を通らずにインドへ行けないものか、そう考えるのが自然な流れですね。

 

地中海西端のイベリア半島レコンキスタが起こり、イスラム勢力を追っ払ってしまいます(1492年に終結)。
ポルトガルスペインでは国王を中心とした中央集権制が確立され(欧州で初)、北アフリカなどに進出していくうちに航海術も発達しました。
海外進出のメリットは大きく、やがてヨーロッパの各国で帆船が作られて多くが競い合いながら海へと出ていく大航海時代が始まるのです。

 

各国の帆船が西アフリカから資源や奴隷をヨーロッパに運ぶ一方で、アフリカ南端からインドへの航路を探し求める船乗り達もいました。
1492年にスペインの援助を受けたクリストファー・コロンブスが、西廻りでインドに到達した(実はアメリカ大陸(笑))という話にポルトガルは焦ります。
コロンブスは先にポルトガルに援助を求めたが断られている)
ポルトガル王の命令で船団を率いたヴァスコ・ダ・ガマは1497年にリスボンを出発、喜望峰を通過して北上し、東アフリカではかなりの蛮行を重ねて、インドにたどり着きます。
(ここでもかなりもめたらしい)

 

1509年にポルトガルフランシスコ・デ・アルメイダ(← 副王に任命された)は、インドとの直接交易を獲得、その後更に東方へ進出します。
(当然イスラム勢力とも戦った)
1557年にはマカオまでやってきて(!)要塞を築き、そこにいたポルトガル人が種子島に流され(1543年)、日本に鉄砲を伝えたのです。
すげーなポルトガル

 

アメリカ大陸などの話は割愛しますが、コロンブスアメリカ大陸から持ち帰った唐辛子がインド料理の味を変えたことは書いておきますね。
(元々インドに唐辛子はない)

 

 

 

ポルトガルはインドでのスパイスの取り引きを支配していましたが、17世紀にオランダイギリスに攻め込まれて敗退。
18世紀にはイギリスが支配地域を広げてオランダは敗退、1877年にインド帝国が成立してインドはイギリスの植民地となります。

 

インドが植民地となったので、イギリス人がどんどんインドに渡ってきました。
軍人・役人・商人とその家族がやってきて、彼等彼女等は高温多湿のインドで食べたインド料理を気に入ります。
カレー」という名称は、その頃にイギリス人がインド料理に勝手につけたもので、インドにカレーはありません。
(煮込み料理のことだったという説もある、多くのイギリス人はインド人と言葉が通じてないからね)

 

イギリス人って食べ物に対する関心が薄いでしょ。
私はイギリスに行ったことのある人に会うと必ず聞くのですけど、やはりイギリスの料理は不味いそうです。
(『水曜どうでしょう』でも大泉がけなしていた)
名物だってフィッシュ・アンド・チップスとかスコッチエッグとか、大したものはないし。
これってイギリス人の舌の味蕾が鈍いせいだという説もあります。

 

インドに渡ったイギリス人の主婦はインド人の主婦と仲良くなってインド料理を教えてもらうのですが、インド人のスパイスの使いこなしが理解できずに困ったそうです。
何しろインドではそれぞれの家庭にそれぞれのブレンドがあって数十種のスパイスを使い分けていて、昔の日本の味噌汁のようにバリエーションが豊富だったそう。
料理にこだわりがあまりないイギリス人には無理な話です。
そこでガラムマサラのようなミックススパイスに目をつけた。
自分達の料理にミックススパイスを入れたら、あら不思議。
インド料理っぽくなるじゃないのー!
イギリス人が帰国するときには喜んでミックススパイス(カレー粉と呼ばれた)を持ち帰りました。

 

ここでイギリス人がインド料理を簡略化したことが、日本でカレーが広まる一つの要因になったのかもしれません。

 

 

帰国したイギリス人がカレー粉を入れた料理を流行らせました。
よく食べられていたのは、シチューにミックススパイスを入れた料理です。
もうほとんどカレーですよね。
こういう料理のことを「アングロインド料理」といいます。
そしてアングロインド料理は英海軍が日本に紹介して、日本で広まっていくのです。
スパイスの調達が難しかった当時の日本では、長い間イギリスからC&Bのカレー粉を輸入して使っていました。
(後にC&B(クロス・アンド・ブラックウェル)はネスレに買収された)
そして煮込むことで旨味を出す方向へ行ったのです。

 

ちなみにイギリスでは、アングロインド料理はほぼなくなりました。
だってイギリスにはその後、インド人なんかがどんどん入ってきて、自分達の料理のお店を出したから。
本格的なインド料理が身近にあるのに、わざわざもどき料理を作ったりしませんよね。

 

 

 

今やカレーライスは完全に日本料理になっています。
インド料理とは違う、アングロインド料理とも違う、独自の料理です。
このことは海外の日本通もよく知っていて、日本のカレーライスはオリジナルなものと捉えられているのです。
(日本のラーメンも同様)
お店によってはカレーをインド料理に寄せたりはしていますが、それは一般的なカレーライスとは別物です。
もうカレーライスをインド料理って言うのはやめませんか?

 

これこれ。

 

 

 

個人的な知識で書いた記事ですので、間違いがあったらごめんなさい。
最後までよんでいただき、ありがとうございます。