少し前にネットニュースになっていた、アニメ制作会社のガイナックス。
『エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』などでアニメファンにはお馴染みの会社です。
そのガイナックス崩壊のストーリーは置いておいて、今回はガイナックスの旗揚げとなったアニメ映画を取り上げます。
『王立宇宙軍』(1987年)
当時の状況から書きます。
1980年代前半の大阪では、SF周辺が盛り上がっていました。
私は当時東京で大学生をやっていたので詳しくは知りませんけど。
『エヴァ』の庵野秀明、『攻殻機動隊』の士郎正宗、『ガンスミスキャッツ』の園田健一など、その後大活躍するクリエイターが大勢大阪にいて、盛んに活動していたそうです。
有志の手により全国を持ち回りで開催している日本SF大会の、大阪での三回目の大会があったとき、運営スタッフの有志により開会式用の短編アニメが作られました。
それが『DAICON3 オープニングアニメ(1981年)』という作品でした。
そして大阪での四回目の大会のときには、技術的にかなりレベルアップした『DAICON4 オープニングアニメ(1983年)』も作られました。
(当時はSFなどのファンの大会でオリジナルアニメを制作することが流行った、例:吾妻ひでおファンの大会「アジコン」のオープニングアニメ)
「DAICON(ダイコン)」とは、「大阪コンベンション」の略語です。
オープニングアニメを作った有志は、『DAICON3』の成功により活動を継続することになり、その後同人動画作品を何本か作りました。
そして彼らは会社を立ち上げてプロの道を歩み始めます。
それがガイナックス(1984年設立)です。
(こうして振り返ると凄いスピード感で進んでますね)
ガイナックス設立のゴタゴタは割愛します。
彼らは『王立宇宙軍』を作ることを決めて(最初はOVA企画だった)、バンダイからの出資を受けて二時間の映画として制作がスタートしました。
『DAICON3』や『DAICON4』を作った山賀博之、庵野秀明、前田真宏、貞本義行らは『風の谷のナウシカ』や『超時空要塞マクロス』の制作に参加して、そのノウハウだけでアニメ映画を作ることになったのです。
純粋にSFが好きなマニアがその知識を総動員して、アニメ業界のしがらみとは別の作品を作り出そうとしたわけです。
『ガンダム』の作画監督の安彦良和は当時の彼らがSFマニアからスタートしていることに驚き、時代が変わったと感じたそうです。
当時のアニメを作っている人たちって決してSFマニアとかではなく、絵が得意だからアニメの仕事に就いて作っているというタイプがほとんどだったそうです。
前置きが長くなりました。
このタイトルにも紆余曲折がありました。
売り込みのために作られたプロモには細かいバリエーション違いがあります。
『DAICON3』や『DAICON4』は既存作品のパロディが満載されていましたけど、この作品ではそういう要素は極力排除されて、自分たちのオリジナル作品となっています。
地球とよく似た架空の惑星にオネアミス王国という国があり、その国には王立の宇宙軍があった。
宇宙軍といいながら宇宙に出ていけるわけではなく、この世界では有人宇宙飛行など全然まだで、役立たずの軍隊として国民からはバカにされ、予算も削られ存続が危ぶまれていた。
宇宙軍の軍人のシロツグはだらけた生活を送っていたが、新興宗教の布教をしていたリイクニと出会い、彼女に影響されて急に宇宙パイロットに志願する。
落ちこぼれの軍隊が急にやる気を出したことで、世界初の有人宇宙飛行へと大きな流れが動き始める。
そしてオネアミス王国と敵対する共和国は、宇宙軍のロケット打ち上げ阻止に動き始める……
この映画は登場する文字からネジから硬貨から、あらゆるものをオリジナルでデザインして作られました。
普通のアニメ作品では決してやらない、とんでもない手間暇がかけられています。
そしてそこまでして作った映画なのに、ストーリーが薄いのです。
見終わって「結局何を言いたかったの?」となる映画なんですよ、見どころ満載なのに。
つまり『王立宇宙軍』は、オリジナルの世界を作り出し、それを見せることが目的の映画だったのです。
だからこそ、素人同然の彼らにも作れたということです。
宮崎駿などのベテランはこの映画を中身がないと批判しましたが、中には「ドラマ性がなくても作品は作れる」と評価する者もいました。
そして何より、当時のアニメファンはこの映画を喜んで受け入れたのです。
どこかプロモみたいな感じのアニメ作品のハシリですね。
(マンガでも、設定も物語もろくにない、キャラやシーンを描きたいだけの作品がこの頃から増えていきました)
そういう性格の作品です。
さて、長くなってしまったので今回はこの辺で。
『王立宇宙軍』に関してはまた書きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。