スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。スターは一個だけ付ける主義です。

映画と私 12

今回はマイナーな作品を紹介します。
スペイン映画の『エル・ニドEL NIDO、1980年)』です。

 

予告編から

この映画には、以前書いた『ミツバチのささやき』のアナ・トレントが出演しています。

『ミツバチ~』で5歳だったアナは、この映画では13歳になっています。
私はアナ・トレント目当てでこの映画を見に行きました。
日本での公開は1987年、シネセゾン系の少数の映画館で上映されました。

 

 

 

あらすじです。

スペインの片田舎の町の、更に郊外のお屋敷に住んでいる高齢男性のアレハンドロ。
彼は馬に乗ったり高価なオーディオで音楽を聴いたりして気ままに暮らしている。
元々貧乏だったアレハンドロは、亡き妻の遺産で悠々自適の毎日だ。

 

そんなアレハンドロの前に現れた、野鳥を愛する少女ゴジータ
アレハンドロに妙に懐いたり、急に不機嫌になったりする神秘的なゴジータに、アレハンドロは惹かれていく。
ゴジータがアレハンドロを知ったのは、彼の妻がゴジータの好きな野鳥の巣を奪っていってしまったことがキッカケだった。

 

ゴジータの父親は警察官で、一家は小さい警察署の上の階で暮らしている。
アレハンドロとゴジータが会っていることはすぐに町中に知れ渡ってしまい、アレハンドロの唯一の友人である司祭のエラディオも忠告するが、プラトニックな愛に後ろめたさがないアレハンドロの気持ちは止まらない。

 

ゴジータはアレハンドロとの結婚は無理なので、おまじないで手の平にお互いのイニシャルをナイフで書き、その手を合わせる儀式を行う。

一方、二人の関係を危険と考えた署長とゴジータの両親は、ゴジータの飼っていた鳥を放して、ゴジータを叔母の家へ行かせてしまう。
署長を恨んだゴジータは、アレハンドロに署長を殺してと頼む。

 

アレハンドロは署長に決闘を申し込み、町の外をパトロール中の署長(と父親)に向けて岩陰から猟銃を撃つが、逆に短機関銃で撃たれてしまう。
アレハンドロの猟銃を調べると、こめられていたのは空砲だった。
町が悲しみに包まれる中、アレハンドロの遺体が運ばれていき、彼を知る人たちはそれを見送った。

 

数年後。
少し大人びたゴジータが、アレハンドロとの想い出の場所である郊外の記念碑にやってくる。
今は亡きアレハンドロに詫びるゴジータ
そして自らの手にナイフでAの文字を刻み、記念碑に当てて、アレハンドロとの永遠の愛を誓うのであった。

 

 

 

悲しい恋の物語であり、少女に人生を狂わされた男の物語でもあります。
この映画の中では、アレハンドロにロリータ・コンプレックスを感じさせる描写はほとんどありませんが、それを世間が許すはずもなく。
特にカトリックが浸透しているスペインでは無理な話です。
スペインの独裁体制が終わった頃に作られた映画なので、『ミツバチ~』のような「裏に隠された体制への批判」は入っていません。
そういう意味では安っぽいメロドラマという捉え方もあると思います。
実際、いかにも低予算だし

 

ただね。
アレハンドロと同じ男性の立場から見てしまうと、この男の悲しさが胸に沁みるのです。
詳しく語られていませんけど、彼には貧乏時代があり、財産目当てと思われても仕方のない結婚があり、その妻との死別もあり。
厭世家であるアレハンドロが世間との関わりを避けて一人暮らしているところに、一人の少女が現れて、その子と妙に気が合って。
アレハンドロは孤独で、ゴジータも周囲に理解されず同じように孤独でした。

 

この女の子と過ごす時間の中で、自身の人生に対する後悔がアレハンドロの心の中に渦巻き、やり直せない人生に苦しみます。
自暴自棄になったアレハンドロが、大切に保管しておいた亡き妻の服を庭で燃やすシーンがあります。
通いの家政婦が心配そうに見ている前で、

「見るな! ほっといてくれ!」

と叫ぶアレハンドロ。
翌朝、家政婦がその後始末をしていると、花束を作ってくれと頼むアレハンドロ。
そしてその花束を、一度も墓参りなんてしなかった妻の墓に手向けるのです。
そんな彼が署長との決闘に見せかけて、自分の人生を終わらせる流れはとても悲しいものがあります。

 

最後のシーンでゴジータはアレハンドロのマネをして、オーケストラの指揮者のように両手を大きく振り、そこにハイドンの『天地創造』の第30曲「二重唱と合唱 おお主なる神よ」が流れます。
アレハンドロが好んで聴いていた曲です。
アダムとイブが神に感謝したように、二人もこの出会いを神に感謝したのでしょうか。
そして草原を走り去っていく白馬。
派手さはないけど、とてもいい映画だと思います。

 

 

 

書いておきたいことがありまして。
この映画の解説で書かれていたことで、間違いがありまして。
最初のほうでアレハンドロが自宅で一人でチェスをしているシーンがあるのですよ。
独り言を言いながらチェス盤に向かい、時々チェス盤からピーなんて音がして。
あれを「タイマーを使った一人チェス」と書いている人がいたのですが。
そうではありません、あれはコンピューターチェスなのです。

 

昔はコンピューターが相手をしてくれる、チェスや囲碁やオセロがありました。
結構いいお値段がするわりにはシンキングタイムが長くてね。
私はコンピューターオセロを持っていましたけど、後半に複雑になってくると数分間は待たされたのです。
で、コンピューターが「打ったよ」と知らせるために音が鳴るようになっていたと。
映画の中に出てきたものは本物の駒を使っていて、駒の動かし方だけを小さい液晶画面に出すような製品だと思われます。

 

これを一人芝居だと捉えてしまうと、このシーンの意味合いが変わってしまうと思います。
大きな家に一人で暮らし、身の回りの世話は家政婦に任せて、高級なオーディオでレコードを聴いたりワインを飲んだり馬に乗ったり、高価なコンピューターチェスで遊んだりというアレハンドロの、贅沢だけど孤独な暮らしを表しているのですから。

 

もう一つ。
この映画は見る方法がほぼ無くて、サブスクには登録されておらず、テレビで放送されたこともなく、中古のビデオソフトを買ってくるくらいしかないのです。
そのソフトもおそらくVHSしかないんじゃないかなぁ。
そんな見られない映画を紹介するなって話になってしまうのです、申し訳ない(笑)。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。