スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

友達の意味、孤独の喜び

私には友達がいません。
こう書くと、「この人は寂しい人なんだな」と思われるでしょう。
でも結構そうでもないのです。
今回はそこのところを書きましょう。

 

 

 

私は若い頃には、大勢の友達がいました。
人並みに友達付き合いをして、一緒に遊んだり騒いだり喧嘩したりしたものです。
それは楽しい日々でした。

 

でも自分が中年になると、友達と会う頻度は減っていきました。
自分一人で行動することが増えたからです。
自分なりの趣味、好み、そういったことがハッキリしてきたのと、それなりにお金や行動力が付いたこと、そして一番大きいのは元々私は一人でいることが好きだったということが理由です。
何かを見に行きたい、食べに行きたい、買い物に行きたい、そういうときに一人で出掛けるのが一番楽だし楽しいのです。

 

私にとっての友達とは、若くて未熟な頃に寄り掛かり合うための存在です。
一人でいるのが不安なとき、誰かと一緒にいたいときに必要なのが友達です。
一緒に遊んだり騒いだり、助けたり助けられたり、それが友達だと思っています。
昔は親友だと思っていた友達も幾人かはいました。
「あいつと一緒なら安心」
そういう気持ちもありました。

 

でも内心わかっていたのは、そんな友達だって結局は他人だってことです。
友達が困っていたとして、自分はその人の家族のようには助けてあげられない。
自分が困っているとき、友達は表面的にしか助けてくれない。
もちろん、気持ちをわかり合っている友達の存在は頼もしいものです。
ただ結局は自力で何とかするしかないのです、当然ですが。
(私は友達との間で映画や小説のような劇的なドラマはなかったです)

 

そして、自分の趣味とか好みが友達と完全には一致しないこともわかってきます。
これも当然のことで、完全に一致していたら気持ち悪いですよね。
そうすると、一緒にいても見ているものが違ってきます。

 

「(そうか、こいつはコレに興味がないんだな……)」

 

そういうとき、自分の中では相手に対する気配りが発動します。
神経質で人の顔色を気にする私は、友達と一緒にいるときに自分を殺す場面が多いのです。
食事するときのお店選び、どの映画を観に行くかのセレクト、解散するタイミング、etc.、etc.……
自分を優先させると、相手は不満に感じるだろう。
自分さえ我慢すれば、相手は満足する。
ならば相手を優先させておけばいい。
こういう気配りって、小さいことでも蓄積していくと疲れるし虚しいものです。

 

「(なんで俺はこんなことをしているのだろう……?)」

 

自分がいい大人になって、自分の時間、自分のお金、自分の体力などを無駄にしたくない気持ちが強くなっていきました。
別に友達と一緒でなくてもいい、一緒にいる理由って何だろう?
そう考え始めると、相手のアラばかり気になってきます。
それで更に友達と会う頻度は減り、離れていったのです。

 

徐々に友達付き合いを減らしていった私ですけど、それでも相手から連絡が来ることはありました。
私はそれが嫌で、最終的には引っ越して、住所も電話番号もメアドも全部変えて、新しい連絡先を友達の誰にも教えませんでした。
これで友達とは完全に切れて、同窓会などの連絡も一切来なくなりました。
そうなったときに、自分の中に湧き上がってくる快感があったのです。

 

「(もう友達に気を使う必要はなくなったんだ!)」

 

それ以来、毎日が楽しくなりました。
重い荷物を降ろした後のように、体も気持ちも軽くなったのです。
好きなときに好きな場所へ行き好きなものを見て好きな料理を食べる。
思い立ったらすぐに出掛ければいいし、途中で何か思い付いたら予定は変更すればいいし、疲れたならすぐ帰ればいい。
一人だと電車でもお店でもすぐに座れるし、好きなものをいつまで見ていても誰も困らない。
ああ、楽しい。
こうして友達のいない私の生活が始まったのです。

 

一人でいることが好きな私は、大学を卒業して以来ずっと一人暮らしです。
たまに恋人が出来ることはあっても、一人でいることを優先する私とでは長続きするわけがありません。
そして恋人と別れたときに、ほっとしてため息をついている自分がいます。
それは若い頃、友達と集まって遊んだ後、みんなと別れて一人になったときと同じです。
遊んでいれば楽しいけど、一人でいる自由を求める気持ち、一人になってほっとする感覚もあるのです。

 

「(はー、終わった終わった、やれやれ、さてどうしようかな?)」

 

こんな私だから、寂しいと思うことはありません。
一人暮らしをしていて、お正月でもクリスマスでも誕生日でも、寂しいとか誰かがそばにいてほしいと思ったことがないのです。
もっと書けば、自宅に自分以外の誰かがいてほしくない気持ちが強いです。
自宅は自分のためのドックやピット(整備場)のような場所であって、完全に誰にも気を使わない空間でなければならない。
これじゃ結婚なんて無理ですね。
その代わり、自分のことは全部自分でしなければなりませんけど。

 

休日に一人でお出掛けして、都心の人混みを歩いていたときのことです。

・自分が今ここにいることを知っている人は誰もいない

・自分の周囲にいる大勢の人達は誰も自分のことを知らない

・自分が今気まぐれにどこかに蒸発してしまってもしばらくは気付かれないだろう

そう思って、都会の人混みの中で強い孤独を感じたときに、私は震えるくらいの幸福感に満たされました。
それは、性的な絶頂に近いものでした。
そして自分が孤独を愛していることがわかったのです。

 

 

 

よく「一人暮らしで寂しい」という話を聞きますけど、一人暮らしには向いている人と向いていない人がいます。
向いているのは、私のような人です。
もし一人でいることを強く望むような人でないなら、早くパートナーを探したほうがいい。


そしてそういう人には、私のような人の気持ちを理解することはできないでしょう。
これはLGBTQのようなもので、それぞれが自分の好きに生きて他者に干渉しない、それがマナーです。
寂しさを感じない人に対して「寂しくて可哀想」というのは、本当に余計なお世話です。
「あなたの価値観を押し付けるのはやめてください」、そう思います。

 

 

 

今回は自分自身のことを深く語りました。
そうそう、激辛料理が好きな私ですけど、友達と一緒だとそれも我慢しないといけないんですよね。
例えばこういうの。

カシミールカレー

友達に無理に食べさせるようなものじゃありません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。