私は高校生のときに、魚屋さんでバイトをしていました。土日祝の昼から、閉店時間の19時までで、忙しかったけど時給はよかったです。
そのお店は「大将」と「奥様」の中年夫婦が経営していて、あとは私が入ったときに辞めていった先輩と、「ユナさん」という女性店員がいました。商店街にあったそのお店は、近所にスーパーがあったのにお客さんで賑わっていました。
大将は四十歳くらいで、とても明るい方で、お店の繁盛具合からすると商売上手と思われ、でも結構天然なタイプ。奥様はしっかり者で、大将のボケにしっかりツッコむタイプ。ユナさんは明るくて、後輩の私にとても優しく接してくれて、おそらく二十歳くらい。スリムで可愛らしい顔をしていましたが、
「何々~、Sくん(私の名前です)高校生なの~? 可愛い~い!」
こんな感じでガキ扱いでした。
とてもアットホームなお店で、バイトしていても楽しかったです。あと、みなさんの会話の中で分かったのは、ユナさんは韓国人だということです。
それは蒸し暑い夏のことです。
ある土曜日にバイトが終わった後で、私はいつもの立ち食いそば屋さんに行き、そばを食べてから駅に向かいました。改札へと階段を登っているとき、ふと外を見たらユナさんがいました。そしてユナさんの二の腕を掴む男性の姿も見えました。ユナさんは嫌がっていて、すぐに絡まれていることが分かりました。
(助けなきゃ!)
ここで見て見ぬフリをするという選択は私の中に無かったものの、一対一でどうすればいいのかは分かりませんでした。ケンカなんて全然しないインドア派の私ですから、ボコボコにされる可能性大です。恐怖心で足がすくみました。
ユナさんが絡まれていたのは、駅の横から裏手の飲み屋街へと続く路地でした。駅の脇なのに薄暗くて、夜に女の子が通るような道ではありません。
ユナさんに絡んでいたのは四十歳くらいの男性で、背は私より低いもののガッシリした体型で、色黒で、髪は角刈り。服装は上はゴルフウェアっぽいポロシャツ、下は黒っぽいズボンで、黒の革靴を履いていました。ユナさんをどこかに連れて行こうとしていて、ユナさんは踏ん張って抵抗していましたが、男の手を振り払うことが出来ないようです。
「嫌がってるだろ!」
私は二人から2mくらい離れて仁王立ちして、言いました。あまり長いセリフだと声が震えそうで、やっと言えた感じです。当然ながら心臓はバクバク言ってました。
二人は動きを止めて私を見ました。ユナさんは声も出せず、ただ大きく口を開けて驚いた表情でした(その口の中にひらがなの「あ」が見えそうな感じでした)。男は私を見て、「んん?」と唸りました。
「嫌がってんだからやめろよ!」
私は何とか声を絞り出しました。両手の拳に力を入れて、出来る限り怖い顔をして、男を睨みました。でも当時の痩せっぽちで七三分けで、真面目を絵に書いたようなファッションの私では、とてもじゃないけど相手を威嚇できていたとは思えません。
すると男はユナさんの手を離し、私の方を向きました。ユナさんは一歩下がったものの、その場から動けず身構えていました。
(こんなときに警官はどこで何やってんだよ!?)
そう思ったものの、誰も助けには来てくれません。駅前には歩行者もいたはずなのに、人情紙風船です。
男は「何だお前?」と言いながら、胸ポケットからホープの箱と使い捨てライターを取り出して、一本抜いて火を着けました。こういうときってどういうわけか、細かいディテールが見えるものです。
「仕事の仲間だよ!」
これもやっと言うと、男はただタバコを吸って私を見ています。
(一回リラックスしたと見せて、一気に攻めてくる気か?)
いよいよかと思って相手の出方を待つ、その数秒の長いことといったらもう。まさにまな板の鯉、体中から嫌な汗が吹き出します。
するとその男は「ちっ」と舌打ちして、飲み屋街のほうへ歩いて行ってしまいました。それでも私は身構えたまま、男の姿が見えなくなるのを待ちました。そして男の姿が消えた瞬間、どっと力が抜けていきました。
「ふーーーっ!!」
大きく息を吐き出して、両手を膝に置いて踏ん張って、(ユナさんの前だけにカッコつけて)地べたに座り込むことだけは避けましたが、もうヨレヨレでした。
ユナさんは私のところへ来て、私の肩を両手でポンポン叩きながら、
「ありがとー! 助かったよー!」
と言ってくれました。
何とか上体を起こしてユナさんを見ると、いつもの笑顔で私を見ながら、
「凄いよー、Sくんて強いんだねー!」
「あの酔っぱらい、一緒に飲もうとか言うんだよー!」
「酒臭いの、もう沢山飲んでるねー!」
「ホント、助かったよー、ありがとねー!」
と饒舌です。危機が去ったことを実感して、私もやっと落ち着いてきました。
「いやぁ、大事にならなくてよかったですよ」
そう言いながら、服の中は汗でビショビショになってました。
その後はユナさんを家まで送り、帰宅しました。ここで「一杯飲んでく?」という歳ではなかったし、喫茶店というのも違うし。とりあえずこの件を完結させたかったのかもしれません。並んで歩きながら、上機嫌のユナさんはずーっと話し続けていました。
次の日。
日曜日ですから私は昼から出勤です。お店は大将と奥様とユナさんの三人が10時に開けています。私が裏から「おはようございまーす」とお店に入ると三人が一斉にこちらを向き、
「よっ、この色男!」
「来たね、ユナのボディーガードが!」
「ヒューヒュー!!」
と口々に叫びながら笑顔で拍手してきました。お客さんは放置されてキョトンとしています。ユナさんが全部話してしまったのです。
「やめてくださいよー」
私が照れて嫌がっていると、大将がそばに来て私の肩を叩き、
「よくうちの娘を守ってくれたな! 見直したぞ!」
するとすかさず、
「あんたの娘じゃないよ!」
と奥様、
「なら時給上げてくださいよー」
と私。それとこれとは別と大将が去っていく、いつものお店なのでした。
日曜日は昼過ぎから夕方までずーっと忙しいです。辺りが薄暗くなってきて、やっと今日の仕事も終盤かとお店の前をホウキではいていると、どこからどう見てもチンピラっぽい男が一人、こちらへやって来ました。ケンカで二、三人は殺した過去を持ちそうな男が、私を睨みながら向かって来るのです!
(昨日はやっと生き延びたというのに、今日は私の命日ですか?)
と思ってビビりまくって、ホウキではく姿勢のまま動けずにいると、その男は私の目の前へ来ていきなり、
「あ✕✕✕✕✕✕✕✕✕た!!」
と言って頭を下げたのです。あまりの大声と早口で何を言ったのかは分かりませんけど、ケンカを売ってきたわけではなさそうです。
頭の中が「?」で一杯になって立ち尽くしているとユナさんが、
「あー、本当に来たのー?」
とその男に駆け寄りました……なんだ、身内かよ!
「いきなり言ったって、何だか分からないでしょ!?」
ユナさんがツッコんだその男はユナさんの弟さんで、姉のピンチを救った私にどうしてもお礼を言いたいと、忙しい時間帯を避けて来たのだそうです。
(いや、それ、驚かせるだけだから……)
弟さんに言わせると、日本人は韓国人に冷たいから、今回の件はかなり意外だったそうです。私にはそういう差別意識がなく、そういうことを感じたこともなく育ちましたからピンとは来ませんでしたが、彼等には大きなことのようでした。
その後はユナさんと弟さんと私とは遊び仲間となり、双方の友人も巻き込んでよく遊びました。酔っ払いの日本人よりもチンピラっぽい韓国人と可愛い姉。いい想い出です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。