スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

私の好きな音楽 4

オフコースといえば1980年代にブレイクしたニューミュージックのバンドのことだと、中高年ならご存知だと思います。
実際は70年代の後半にはファンが付き、五人組になった79年からブレイク、83年に鈴木康博が脱退して四人組になり、80年代後半のバブル景気が始まる頃まで売れてました。
そして89年に解散しています。

 

私もよく聴いてました。
ただ私は、オフコース小田和正鈴木康弘の二人組だった前期のファンでした。
もちろん五人組になってブレイクしたときも聴いてましたよ。
でもギターバンドのサウンドになったオフコースの曲は単調になってしまったと思っていて、大きな音で淡々と流れる曲が多くてガッカリもしていました。

 

私はある事情で、82年に行われたオフコースの武道館10daysに誘われたことがあります。
(この頃がオフコースの人気絶頂期でしょうね)
「チケットをタダであげようか」という話があったけど、私は断りました。
理由は、自分が五人組のオフコースを100%好きではなかったからです。
武道館に行けば全面的にオフコースを好きなファンが大勢いるわけで、その熱狂の渦の中に私のような者がいてはいけない、双方が不快になる、そう考えました。
後で友達から「もったいない」と怒られたりしましたが、今でもこの判断は正しかったと思っています。

 

オフコースは最初は五人組だったそうで、高校の文化祭のステージに立つために結成されました。
その後メンバーの入れ替えが何度かあり、レコードデビューしたときには上記の二人となっていました。
当時のスタッフは「オフコースは大物になる可能性がある」と見て、二人にステージとレコーディングの仕事をどんどんやらせて、それらの仕事に腕の立つミュージシャンを次々と連れてきて組ませました。
オフコースは流行りのサウンドをどんどん取り入れて、二人組の時代にはバラエティ豊かな曲が並ぶこととなりました。
私はこの頃の曲が好きなのです。

 

例えばこの曲。

アコギ、エレキピアノ、ベース、ドラム、そしてコーラスで構成された落ち着いた曲です。
スピーカーの前にこの曲の世界が広がるような、素敵な曲なのです。
この曲が収録された同名アルバムから武藤敏史がプロデューサーになり、物凄く時間をかけて作られたそうです(レコーディングにかけた時間は500時間!!)。

 

ただ逆に言えば、二人組のオフコースは『眠れぬ夜』一曲しかヒットしたことがなく、五人組になってからヒットを連発することになるのですから、この変化は正解だったとも考えられます。
個人的には二人組のまま続けてほしかったですけど、それでジリ貧になられても困りますよね。
お二人が音楽をやめてしまう可能性だってあったわけで、ファン心理というのも複雑です。

 

自分が年寄りになって、音楽をSpotifyで聴くようになって、オフコースも時々聴いています。
再生するのはやはり、二人組の時代の曲です。
五人組の時代の曲はどうも合わなくてね。
それと小田さんがソロになってから、二人組時代の曲をセルフカバーしていたりもして、これがまたいいんだな。
まだならば是非一度。

 

 


 

 

有楽町ビルとかニュー新橋ビルとか、解体が決まってしまった古いビルが東京にはいくつかあります。
そういうビルに入っているお店もなくなってしまうわけで、今のうちにと食べに行っています。

これはニュー新橋ビルの丹波屋さんのインドカレー(¥460)。
立ち食いそば屋さんとは思えぬ美味しさでした。
もちろん値段なりな部分もあるのですけど、これなら毎日でも食べたいです。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。