スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

私の好きな画家 1

(タイトル編集しました)

 

今回は、私が一番好きな画家のことを書きます。
エドワード・ホッパー(Edward Hopper)
これがその画家の名前です。

自画像

彼について、私なりの言葉で書いてみますね。
ちょっと長くなりますが、よければお付き合いを。

 

 

 

1882年、アメリカはニューヨーク近郊の小さな町で生まれて中流階級として育ったホッパーは、小さい頃から絵の才能があり、背が高すぎて他の子供達に馴染めないような子でした。
彼の家からはハドソン川が見えて、小さい頃は窓から船を見るのが好きで、自分で小さい船を作ってしまったりもしたとか。
両親はバプティスト派信者で、その影響を受けたホッパーは生涯、生真面目で質素な生活をする、所謂「ピューリタン」だったそうです。

 

その後母親の勧めもあって、ニューヨーク美術学校で学びます。
そこでロバート・ヘンライから教わり、他の才能ある若者達とも知り合います。
ヘンライはホッパーが生まれた頃にヨーロッパで絵を学び、印象派絵画の影響を強く受けて帰国し、独自の印象派絵画を構築していきます。
ヘンライのグループは「アシュカン(ゴミ箱)派」と呼ばれ、アメリカの綺麗な表面ではなく、庶民の暮らしや街の裏側を描いていきました。
一説によると「君等はそんな汚い街の風景を描いたりして、まさかゴミ箱まで描くのかい?」という皮肉から生まれた名前らしいです。

 

ホッパーはすぐに画家になったわけではなく、広告代理店に入りイラストレーターになって生計を立てます。
注文通りの絵を描く、彼自身は決して楽しくない仕事をしながらお金を貯めて、憧れのパリに数ヶ月滞在し(1906年~1907年)、フランスの絵画を学びます。
(生真面目に日々勉強していたらしい……)
彼は印象派絵画に魅せられ、前衛的な絵にはまったく興味がなかったそうです。

 

ホッパーは帰国してから美術展に作品を出し始めましたが評判はよくなく、作品はヘンライのグループ展で展示してもらっていて、とてもじゃないが自分の絵で生計を立てるなんて出来なかったのです。
イラストやポスターの仕事をしながら、それでも絵が好きな彼はずっと描き続けていきます。
そして1920年に、初めての個展を開きます。
会場は、ホイットニー美術館の元となったギャラリーで、後々までホイットニー美術館との付き合いは続いていきます。

 

ホッパーは1923年になって水彩画をはじめて、旅先で描いた風景画が展覧会で入選して評判も上々で、少しずつ絵が売れ始めます。
(この頃に画商のレーンと出会い、その後長きに渡って付き合いが続いていきます)
画家として生きていく自信をつけた彼は結婚し、絵は評判となり、数々の賞も受けたりしました。
(そういう賞は全部断っていたとか)
その後水彩画からエッチングへ移行し、そしてまた油絵を描くようになります。

 

ホッパー夫妻はニューヨークのワシントン・スクエアにアトリエを持ち(奥さんも画家だった)、ニューヨークから北に400km離れたケープコッドにも家を持ち、夏はケープコッド、それ以外はニューヨークという生活を続けていきます。
裕福になったのに二人の生活は質素で、服も車もボロボロになるまで手放さなかったとか。
彼等の楽しみの一つは旅で、車や列車で長い旅をすることを好みました。
(旅先で見た風景も作品に活かしました)

 

寡黙で感情を出そうとしないホッパーに対して、奥さんは明るくおしゃべりでしたが、二人は凄く気が合ったそうです。
(奥さんは自分以外の女性にヌードモデルをさせなかったそうです)
またホッパーは大の読書家でもあり、英語だけでなくフランス語の本も読み、ランボーなどの詩が好きだったそうです。

 

1967年、ワシントン・スクエアのアトリエでホッパーは84歳で亡くなりました。
その翌年に、奥さんも亡くなったそうです。
彼の持っていた多数の作品は全て、ホイットニー美術館に遺贈されました。

 

 

 

誰もが知るホッパーの絵といえば、間違いなくこれでしょう。

Edward Hopper "Nighthawks"

「夜ふかしをする人たち」、シカゴ美術館所蔵

 

ニューヨークの夜の街角を描いた作品です。
ホッパーはこういう街の風景と、灯台のある岬などの絵をよく描きました。
光が与える効果、演出に強い関心があって、この絵も光が効果的に使われています。
人物は最低限の人数しか描かず、この絵なんて例外的です。
そして人物は無表情で気怠く、お互いにそっぽを向き、風景には哀愁が感じられます。
直線を好み、見た風景を写実的に描くのではなく、見た風景を材料にして計算し尽くした構図を作っています。
この絵のモデルとなったお店を探す人もいるようですが、このお店はホッパーの頭の中にしかないのではないでしょうか。
(深夜の吉野家のようでもあります)

 

ホッパーはアシュカン派の思想を更に深め、大恐慌や世界大戦の頃に人々の心の中にあった不安を絵に表したのです。
例えばこの作品。

Edward Hopper "Room in New York, 1932"

「ニューヨークの部屋」、シェルドン美術館所蔵

 

温かい光で満たされた部屋を、外から覗いているような絵です。
夫婦なのか、二人は同じ部屋にいて寛いでいるように見えますけど、視線を合わせないでいて気怠そうです。
シンプルな絵で、決して幸せそうではない、何か悲しげな雰囲気がするのがホッパーの作品の特徴です。

 

アメリカでは抽象画が人気となっていきますが、ホッパーはそれには関心がなく、具象画一本槍でした。
美術の世界に「リージョナリズム」というカテゴリーがあります。
上に書いた、当時のアメリカ人にあった不安から、ヨーロッパらしさを避けてアメリカらしさを好む民衆に対して強くアピールしたのは、アメリカ人に馴染みのある風景を描いた絵画でした。
ホッパーやアンドリュー・ワイエスなんかがこのリージョナリズムに入ります。
時代の空気として抽象画がウケる一方で、ホッパーの描くような絵を求める人達も少なからずいたってことですね。
(アシュカン派やリージョナリズムなどを含めて「アメリカン・シーン」と言うそうですが、あまり詳しくは知りません、すみません)
(この辺りのアメリカの美術史って、ヨーロッパの印象派などに比べると資料が少ないのです)
アメリカでは今でも非常に人気のある画家なんです。

 

あとヴァロットンの油絵も、ホッパーに似た雰囲気を持っています。

Félix Vallotton "The Ball"

「ボール」、オルセー美術館所蔵

 

光溢れる公園で遊んでいる少女を描きながら、これもどこか不気味で寂しい感じがします。
奥に二人の女性がいて、この子の保護者でしょうか?
それにしては随分遠くにいますよね。
そして画面の左半分を占める影、普通なら木の影に見えますけど、これがもし怪物の影だとしたら?
少女はボールを追いかけているのではなく、怪物から逃げている?
更に、少女の上の緑色のものは植物のようですけど、幹や枝が一切描かれていません。
これも実は植物ではなくて、別のものなのかも……
同じ時代に別の場所で、二人の画家が似た雰囲気の絵を描いていたというのも面白いですね。
(この絵の元になった写真が残されているそうで、絵の上半分と下半分は別の写真から描かれたらしいです)
私はこの絵は、三菱一号館美術館で開催された「ナビ派展」で見ました。

 

 

 

私は「一番好き」と言いながら、ホッパーの絵の実物は一枚しか見ていません。
(あまり日本には来ていないようです)
2012年に都美こと東京都美術館で「メトロポリタン美術館(The Met)展」があったとき、ホッパーの絵が一枚だけ展示されました
こういうごった煮の展覧会は好みじゃないのですけど、ホッパーを見たくて行きましたとも!
その時展示されていたのがこちら。

Edward Hopper "The Lighthouse at Two Lights"

「トゥーライツの灯台」、メトロポリタン美術館所蔵

 

いいですねぇ、この絵。
青い空に白い灯台(と沿岸警備隊の建物)の絵といえば、どう考えても爽やかにしかならないはずなのに、日差しが少し傾き始めた時間帯にすることで、哀愁を忍び込ませています。
私、この絵の前に30分くらいいました。
正面方向にソファーがあったので、立ったり座ったりしながらですが。

 

私が長年生きてきて、風景に惚れる瞬間がいくつもあったわけですけど、それってホッパーの絵を見たときと同じなんです。
例えば、休日に一人で自転車でぶらぶら走って、ひと気のない埋立地に着いて、のんびりして。
そのうち日が傾いて涼しい風が吹いて、
「そろそろ家に帰って風呂に入って晩ごはんにしよう」
「うちには何時くらいに帰れるだろう?」
なんて考える時の、孤独に浸れる風景がそれです。

 

人々が「寂しい」と思う風景から受ける、奇妙な快感。
寂しさの質はホッパーの時代の人達とは違うでしょうけど、ホッパーの絵を見て受ける印象は私の中では同じなのです。
リアルでドライに描かれた風景の中に見る、孤独。
人は皆、結局は一人だし、いつかは死ぬ。
心の奥底を完璧に分かち合える人など、いるわけがない。
そんな絵を見せられたら、孤独が好きな私はそれを最高の画家と言うしかありません。

 

 

 

ちなみにこの「メトロポリタン美術館展」があった丁度その頃、パリで大規模な「エドワード・ホッパー展」がありました。
見に行きたいけど行けるわけがない、悔しい想いもありましたが、この「トゥーライツの灯台」はパリには当然無いわけで、ちょっと「ザマミロ!」という気分だったことを白状します(性格悪っ)。

 

ヒッチコックが映画『サイコ』を撮るときに、舞台となるモーテル「ベイツ」の隣の丘の上に建つ、ノーマンが暮らす屋敷のモデルとしたのは、ホッパーの絵でした。

映画『サイコ』から

 

Edward Hopper “House by the Railroad”

「線路脇の家」、ニューヨーク近代美術館MoMA)所蔵

 

ヒッチコックもこの絵に感じるものがあったのでしょう。
古臭い屋敷と、当時は新しかった鉄道を対比させている絵で、実際は線路はもっと低い位置にあるそうです。
この絵でも、光が効果的に使われています。

 

 

 

好きな画家のことなので、張り切って書いてしまいました。
いつか、東京で大規模なホッパー展が開かれるといいですね。
もし開催されたら通っちゃうかも(笑)。

 

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。