スプーキーじいさんって何考えてるの!?

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ロックフェラーセンターのクリスマスツリー

今年も既に報じられていますが。
毎年12月になると入ってくるニュースの一つに、ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマスツリーの話題があります。

その歴史を紐解いてみましょう。

 

 

 

(初代)ジョン・ロックフェラーは、石油業(スタンダード・オイル)で財を成した大富豪です。
時には法に触れるようなこともし、競争相手を蹴落とし、世界一の大金持ちになりました。
彼の有名な逸話がありまして。
ジョン・ロックフェラーの最晩年(1937年、93歳)、自動車王のフォードがお見舞いに来たときに、ロックフェラーは、
「さらばだ、天国で会おう」
と言いましたが、それに対してフォードは、
あなたが天国に行けるならね
と返したそうです。
それくらいのことをしてきたということですね。

 

 

 

ジョン・ロックフェラーの息子、ジョン・ロックフェラー2世は父親の「シニア」と区別するために「ジュニア」と呼ばれました。
シニアは70代になっても当主を譲りませんでしたが、ラドローの虐殺

1914年、シニアの持つ炭鉱の労働者と家族の1,200人がストをしていた所を、会社側が要請したコロラド州兵が銃撃して子供を含む20人が殺され、それをキッカケに紛争が拡大して最終的には大統領が派遣した連邦軍により鎮圧された。ヘレン・ケラーはこの虐殺についてシニアに対する抗議文を発表している。

の対応に当たったジュニアの活躍

現地へ出向き、労働者に対して会社側の間違いを認めて謝罪し、結果として労働者の信頼を得ることに成功した。

を認めて当主の座を譲ります。

 

アメリカでは格差が広がり、ストやデモが繰り返され、テロ事件まで起きるほど荒れていた1920年前後に、ジュニアは慈善団体であるロックフェラー財団を設立してその活動を活発化させます。
アフリカなどの後進国で病院を立てたり生活環境の改善を図ったりし、健康な人を増やしロックフェラーに対する忠誠心まで植え付け、結果的に安い賃金で高い生産性を生み出すことに成功するのです。
こうして世界中に資本主義を広めていったジュニアは、「世界一お金の使い方が上手い男」と呼ばれるようになります。
一方で自然保護にも高い関心を示し、広大な土地を購入して寄贈し、国立公園や国定公園にしたりもしています。
今の国連本部の敷地は、ジュニアが寄贈したものです。

 

 

 

世界恐慌が起きたときに、シニアは絵空事みたいなメッセージを発信しただけでしたが(この頃に彼は個人資産の半分以上を失ったが、暴落した優良株を買い占めておいて後で売って大儲けした)、ジュニアは新たな事業をはじめます。
それがロックフェラーセンターの建設です。
大恐慌により実現は不可能では? と言われながら、安い資材と低賃金を巧みに利用して、ロックフェラーセンターを一族の理想である
"World Peace through Trade"自由貿易による世界平和)
の実現の第一歩としようとしたのです。

 

工事のために7万人が雇用されて、仕事なんて全然無い時代に家族の生活を守ることが出来た彼等はジュニアに感謝して、工事中のロックフェラーセンターの中庭にお金を出し合って大きなクリスマスツリーを立てました(1931年、6mのバルサムモミの木)。
飾り付けは「クランベリーを連ねたもの、紙の花飾り、そしてスズ箔」だったそうです。

これがロックフェラーセンターのクリスマスツリーのはじまりです。
資本主義の象徴、アメリカに富をもたらす最前線、そこにあったちょっといい話ってわけです。

 

その後もツリーは立てられ続けて、戦時中には戦場の兵士に捧げるために青・赤・白の三色にデザインされた三本のツリーが立てられました。
戦時中の1944年は灯火管制がしかれていたため、ライトの点灯はされませんでした。
そして第二次大戦が終わった1945年のクリスマスには、終戦を祝って700個のライトが付けられたド派手なツリーが立てられたそうです。
1951年からはNBCがツリーの点灯式の中継を始めて、全米の人達がこれを見るようになりました。
こうして12月には国民的行事としてクリスマスツリーの点灯式が行われ、そのニュースは世界中に配信されるようになったのです。

 

 

 

バブル景気の頃に、三菱地所ロックフェラーセンターを所有する会社の株の51%を買い取り、これ以外にもジャパンマネーによる買いあさりが頻発して、日本に対するバッシングが激しくなっていきます。
アメリカ人、特にニューヨーカーにとっては辛いニュースだったと思います。
バブルが崩壊した後、三菱地所が所有していた14棟の内12棟は売却されましたが、未だに2棟は所有しているのだそうです。

 

シニアの孫のデイビッド・ロックフェラーチェース・マンハッタン銀行の会長になり、ニューヨーク市長だった兄のネルソン・ロックフェラーと協力してウォール街の再開発事業をはじめて(1959年)、1973年に世界一高いツインタワーが完成します。
世界貿易の拠点となるこのビルの名は、彼等一族の理想である

"World Peace through Trade"

から、

"World Trade Center" (WTC

と名付けられました。

 

そして2001年に、同時多発テロで資本主義の象徴として破壊されるのです。
デイビッド・ロックフェラーはロックフェラーセンターの56階でWTCが崩れていくのを見ていたとか。
(シニアの孫やひ孫達は他にも政財界で活躍している)

 

 

 

クリスマスツリーとロックフェラー一族のお話、ざっと書きましたが、あのクリスマスツリーにも歴史があったということですね。

 

 


 

 

カレーが好きでカレーばかり食べている私ですが。

ステンレスの楕円形の深皿に入ってるカレーライスって、ちょっと期待値があがってしまうのです。
チープだけどいいクセがあるようなイメージがあるんですよねー、不思議。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。