スプーキーじいさんって何考えてるの!?

貧乏・暇なし・不健康。一人暮らしのじいさんのブログです。このブログに広告とか金儲けは入っていません。

311の記憶

もうすぐ12年ですか。
東日本大震災が起こったのは、2011年3月11日の金曜日でした。
あの日の私の記憶を書いておきます。
(長文です)

 

 

 

私は当時、タクシー乗務員でした。
リーマンショック後の不景気で仕事を失い、致し方なくタクシー乗務員になりました。
東日本大震災をはさんだ三年間、東京でタクシーをやってたのです。
歩合制の給料だったため、特に震災後は大変でしたよ。

 

あの日私は乗務していました。
金曜日でしたから、夜は稼げるぞーって感じでした。
そしてお昼前からお客様が続いて、昼食を摂ることも飲み物の購入もできないまま、時刻は14時を過ぎてしまいました。

「今日はいい営収(営業収入)行くぞ!」

そろそろ昼休みにしようとしていたら、日比谷で西向きで手が挙がりました。
中年の男性がお一人で、行き先は目白台でした。
それなら混雑する飯田橋を避けて、九段から行くかと思い出発。
内堀通りで九段まで、左折して一口坂で右折、お堀を渡ったら左折です。

 

そこで車が揺れていることに気付きました。
その日に乗っていたのはタクシー仕様の古いクラウンで、クラウンはサスが柔らかいのです。
もちろん乗り心地をよくするためですけど、あまりに柔らかいので後ろでお客様が動いただけでも揺れてしまうのです。
それで私は「(小銭でも落としたのかな?)」と思ったのです。

 

市ヶ谷田町の交差点で右折しようとして赤信号に捕まりました。
右折レーンで停車すると、やっと揺れが大きいことに気付いたのです。
今までに経験したことのない大きな揺れで、度肝を抜かれるとはこのことです。
そして右を見ると、見える範囲の全てのビルが揺れていたのです。
通り沿いは背の低い建物が並んでいて、その向こうには大きなビルがあり、それぞれの建物がそれぞれの周期で揺れていました。

 

後ろのお客様が、

「運転手さん! あれが倒れてきたら死んじゃうよ!」

と叫びました。
私だってそう思ってます、でも動けないのです。
それで右を見ながら、もし倒れてきたら逃げようと思い、じっとしていました。
死が目の前にありました。

 

やがて揺れは治まり、全ての建物から人が続々と出てきました。
気がつけば、服の中は汗でびっしょりです。
そして私も我に返り、目的地へと走り始めました。
この時点ではまだ道は空いていました。

「凄い揺れでしたね」
「どうなることかと思ったよ」

そんな会話をしながら、お客様の許可を頂いてラジオを点けてみました。
NHK第一でしたけど、まだ情報が入ってきていないようでした。

 

そのお客様を降ろしてから、立て続けに手が挙がりました。
その多くは、自宅と家族が心配で帰りたいというものでした。
この頃から段々と道が混んできました。
そして新宿西口へと連れて行かれてビックリ。
お客様を降ろしたら、周辺にいた人達がどっとやってきたからです。

「乗せてくれ!」
「うちは所沢なんです!」

鉄道が止まってしまったことは容易に想像できます。
私だってお客様が途切れたら、東京駅で長距離のお客様を狙おうと思っていたくらいですから。
それにしたってこれほどとは……
残念ながらタクシーは先着順で、一組しかお乗せできません。
最初に乗車された方は、わりと近所の戸山を指示されました。

「(所沢に行きたかったなぁ)」

私はまだこんな呑気なことを考えていました。

 

戸山でお客様を降ろして、また次のお客様が乗車されました。
大塚を指示されて出発。
私はお腹は空くし喉はカラカラで、お客様にお願いして車を停めて、自販機で果汁のジュースを二本買ってきてガブ飲みしました。
ラジオによると東京のどこかで火災が発生していて、建物の崩壊の情報はまだないようです。
鉄道は全線で運休、首都高も全て通行できなくなっていました。

 

大塚でまた次のお客様が乗車されて、戸田へ行って欲しいとのこと。
それで庚申塚から白山通りへ出ようと思いました。
白山通りに出る信号まで行ってみると、歩道を大勢の人達が左に向かって歩いていました。

「(帰宅難民だ……)」

やっと私にも、事の重大さが分かってきました。
白山通りに出てみると、見渡す限りの歩行者がそこにいたのです。

 

白山通りの下りはほぼ動かず、車で一杯になっていました。
私の車の横を歩行者がどんどん抜いていきました。
数分間その場にいましたが、1mも動けませんでした。
それでお客様に、これなら歩いたほうがいい、タクシーは時間でも料金が上がってしまうと説明し、お客様は歩くことを選択しました。

 

この頃に携帯のメールで、家族の無事は確認できました。
都心で働く旧友からタクシーで来て欲しいとメールがありましたが、時間がかかりそうだと返信しておきました。

 

前のお客様が降りると、すぐに女性が一人乗車されました。
蕨へ行って欲しいとのことで、このまま直進です。
ただ、車はまったく動きません。
その女性が言うには、蕨の保育園にお子さんがいて、連絡が取れなくなってしまったそうです。
ついに後ろで泣き出してしまいました。
事情はよく分かりますが、この渋滞ではどうしようもありません。
歩いたほうが早いと説明して、そのお客様も降りていきました。

 

その後は高齢の男性が乗車されて、時間がかかってもいいから高島平へ行ってくれとのこと。
足が悪いようで、ゆっくりでもいいと仰るのでそのままゆるゆると進んでいきました。
板橋本町辺りにある喫茶店の前では、店主が無料でコーヒーを配布していました。
車は首都高の下の道を行き、中山道からは外れて住宅街へ入りました。
お客様を降ろして、コンビニに駆け込み、やっとトイレに行けました。
空腹でしたがご飯物はまったくなく、パンとお茶を買いました。
そして車に戻ると、三人の方が私の戻りを待っていました。

 

このお三方は小さい会社の社長と社員で、三人の自宅を巡ってほしいと言われました。
聞けばお三方共に、埼玉県に住んでおられるそうです。
非常時なのでパンを食べたりすることをお詫びし、許可を得て出発しました。
通りは変わらず渋滞していました。
ラジオでは、東北地方の海岸で大勢の方の遺体が発見されたと、突然言い始めました。
当時は状況がまったく分からず、お客様と首を傾げるばかりでした。

 

気が付けば日が傾いていて、相当な時間が経ったことになります。
ノロノロ運転でやっと川越街道の旧道に入りました。
ふと横を見ると、歩道の隅に座り込んでいる人達がいました。
ほとんどが女性でした。
おそらく都心から歩いてきて、ここで歩けなくなってしまったのでしょう。
池袋からだとしても約10kmです、寒い日でしたから体力の消耗も大きかったことでしょう。
可哀想だけど、車に乗せてあげることはできません。
これがバスならいくらでも乗せてあげられるのに……
自分の無力さを思い、胸が詰まるようでした。

 

その後は所謂「配達」で、お三方をお送りしました。
その途中、かなりの渋滞でまだほとんど動けなかったときのことです。
お客様のお一人が横のコンビニへ行って、パンやコーヒーを買ってきたのですが。
なんと私の分まで買ってきてくれたのです。
お礼を言い、有り難く口にさせて頂きました。
人の情けが胸に染みましたよ。

 

お三方の最後の方は坂戸にお住まいで、さすがにそこまで郊外に行くと道はガラガラでした。
その頃にはすっかり暗くなっていましたし。
ただ、どこかの小さい駅の前を通ったときですけど。
もう日付も変わって駅前は真っ暗なのに、十名程の人達がタクシー乗り場に立っているのが見えたのです。
私は東京でしか営業が出来ないので、申し訳ないけどスルーさせて頂きました。

 

やっと空車になり、旧友の元へと走りました。
都心ももう道はガラガラで、すんなり戻って来ることが出来ました。
メールすると、旧友は始発を待って帰るとのことで、帰庫することにしました。
実際、規定時間よりもかなりオーバーしてましたし、ずーっとお客様が乗車された状態が続いたから、体力的にも限界でした。
車を停めて少し休み、それから営業所へ向かいました。
その頃になって、私は回送板を出していましたけど(スーパーサインを「回送」にすること、業界用語)、それでも手を挙げてくる人達が大勢いました。

 

帰庫してみると、もう空は明るくなっていました。
(営業所は東京の北東の端にあった)
営業所内は騒然としていて、みんなでテレビを見ていました。
私も話したいこと、聞きたいことは山程あったのですが、もうクタクタで話す気力もありませんでした。
納金を済ませ、洗車をして、とっとと帰りました。

 

駅へ付くと、普段は運行状況を表示しているモニターで、NHKの映像が流されていました。
そこに見えたのは、メチャクチャになったどこかの街でした。
私は営業中に、同じ情報しか流してくれないラジオがうるさくて、途中で消していたのです。
(後ろのお客様も寝てらしたし)
だからこのときになってやっと、東北が大変なことになっているのを知りました。

 

自宅へ帰り着いてみたら、冷蔵庫が台所の真ん中にありました。
それ以外に大きな被害はありませんでした。
私はすぐに、泥のように眠りました。

 

 

 

長くなりましたが、これが私があの日体験したことです。
東京での揺れが酷かったので、私はてっきり東京が震源地だと勘違いしてました。
東北ではあれ以上の揺れがあったわけで、その恐ろしさは想像を絶します。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。